日常。

「正しい」という言葉ほどやっかいなものはないな。
先日、中学受験塾のテキストに「南京事件」が載っていることに、今頃驚く人がいるのには全く驚かされたが
その主張は「それを教えるのは正しくない!」らしく、でも「正し」かろうが、なかろうが、「必要」だから教えるんですよ。
出題されるかどうかは「ビミョー」だろうけどね、学校も「面倒」なことはイヤだもの。
ヘンな奴に絡まれて子どもに何かされたら、、、と学校もおそれるものね、これが「正しい」ことなのかな。
そういえば、マナーの悪い高校生に車をぶつけた奴がいたとか、この話は学校で聞いたと、うちの高校生が家に帰ってきて教えてくれた。
なんでも、学校のホームページに嫌がらせを書き込む奴がいて、そういう人間がこの事件を見て「模倣」してくるかもしれないから「気をつけろ」と、
「嫌がらせ」というのは気をつけていてもやられるんだよなあ、気をつけていても「犠牲者」になった時、子どもをかばってくれるかな?
「気をつけていなかったから」と言われたらこまるなあ。なんで「学校」を狙うのかな、「子ども」を狙うかな、ネットでも、どこでも。
多分、その存在が「弱い」からなんだろう、全く卑怯でイヤになる、
そのくせ、それが「子どものためだ」と主張するんだものな、今回の「事件」にしても。
しかし、やり玉に挙げられた塾はいい迷惑だろう、他の塾でも同じようなテキストを使ってるだろうに、
Z会のテキストにもちゃんと書いてあるし、歴史的事実に「正しい」概念を持ち込まれてもなあ。「正しい」は「主観」か。
こんな些細なことで引っかかっているんでは、この先、進学校に自分の子どもが進んだとき、どうするんだろう、
今、高校生の上の娘が使っている現文のテキストなんてそれはそれは「左翼」傾向で、
賢い子どもはこうやって左傾化するか、なんて思っちゃいそうだ。
シグマベストの「理解しやすい現代文」なんてすごいよ、例文研究に丸山真男は出てくるわ、大岡昇平の「野火」は出てくるわ、
読んでいると「自由とは何か」「民主主義とは、、」と真剣に考えさせられる、また文章の構造読解の面白いこと、「なるほどねー」と楽しい。
なんでこんなものを私が読んでいるかと言うと、情けないほど、上の子は「現代文」が苦手で、、(涙)
ダーリンが「君は現文は得意だっていっただろう、教えてやんなさい。」と言うことで、今、読んでるざんす。
読書家が「国語は得意」って嘘だと思う、下の子は気に入った本しか読まないくせに現国は信じられないくらい得意だもの。
上の子は、本好きでよく読むのに、何故か、現文の答えが見事なまでに「惜しい」ところで外している。いやはや、あれは「才能」だわ。
こんなのを私が教えられるかしら、とほほほほほ、、、(エンドレス)