ぶつぶつ。

ネットで、またまた「ざいとくかい」の所行が目に入って、涙。
それでも、私はこの人たちを叩くのはいやなんだよなあ、自分の「手」が「汚れる」から。
この感覚、これこそが「差別」そのもの、これを「良い」とは言い切れない、そこが私のプチブル的所以と言おうか、ああ、小市民、と。
「その根性たたき直してやるー!」ってな相手のやり方をそっくりそのまま、まねていいのかどうか、他に何かやり方はないのか、
振り上げた拳が、実は自分よりもはるかに弱い、哀れなものにおろされてしまったことは、生きている限り、誰もが必ず経験してきたはずで、
その惨めったらしさに、再び自分がまみれたくはない、「自己愛」だなあ、これを「保身」ともいう。
それでも、時には、例えば保育園に乱入して「ロリコンです」なんていった奴をぼこぼこにしたい、そういう欲求はふつふつとわき上がるんで、
しかし、その場にいたら「したか」と言えば、しなかったと思う、しそうになる人がいたら、止めると思う、
こんなくだらん奴のためにその手を汚さないでくれ、バカは、バカとして生きているだけで苦しいんだから、って。
それにしても、あの保育園事件に関して、「見逃せ」的な反応があったりして、
いやはや、その保育園では、来年から入場者をどう制限するか、また、忙しい保護者が貴重な時間をこんなくだらないことのために集まって
話し合わなければならないかもしれない、そのことを思うと、「許せ」という奴を締め上げたくなる、
まあ、これが「ざいとくかい」のために手を汚すな、と言ってる私のような人間に腹が立つ、ってなことなんだろう。
「正しい」という言葉で攻撃することにうんざりして、また、この世界で「理想」というものが、なんと攻撃的か、
「理想」で他人を圧迫する、それなら「理想」なんて必要ないんじゃないか、
でも、どこかで私は「理想」を信じていて、それが必要なこともわかっている、
「理想」とは、人知れず、こっそりと持っていて、何かあったとき、高々とそれをたった一人で掲げる、それが私の「理想」。
しかし「show the flag」とは、「合い言葉を言え」なのかな、「寛容」とは、「曖昧」か、そんなことを考えたり。
生ぬるい目で見逃したいけれど、あまりにも酷いんで、見逃す、というよりは、もう視界にも入れたくない、
日本は、本当に貧しくなっちゃったんだなあ、「自分の気に入らない奴は徹底的につぶせ」がここまで台頭するとは。
民主党議員の江畑謙介への追悼(?)と、石破氏の中川元議員の追悼文を、つい、比べて、暗澹たる思いに駆られた。
同じ党内に所属していた、の違いはあるんだろうが。しかし、かのコメント欄のひどさにもうんざりした、ブクマはしなかった。
新型インフルが上の子の高校で猛威を振るって、いつ我が家を襲うか、戦々恐々。