色々。

京教大附属の集団強姦事件について良質のエントリをいくつか。
集団強姦をする人間を「けだもののように」と比喩するのは「動物に失礼だ」には納得、動物が同じ種のめすを集団で襲ったりしないものね。
「強姦」を「動物的行為」みたいに扱うのは「強姦」を「ごく自然」とか「本能」みたいな扱い方で不愉快だ。
「強姦」は極めて人間的な行為で、もっとも似ているのが「いじめ」だ。
「いじめ」の原因には「性」が絡むこともよくある、「女の子のくせに成績がいいのは生意気だ」とか、そういう考え方は人間にしかないな。
「強姦」を「集団わいせつ」に言い換えるのは「いじめ」を「子供の喧嘩」に言い換えるのと同じだ、
「子供の喧嘩に親が出る」的ないい方をいじめをした方の親は必ずする、
ただの「喧嘩」なら「1」対「1」だ、そうじゃなく「1」対「集団」だから、大人が出て行かなければいけないんでしょう、そこを「ごまかすな」といいたい。
「被害者が悪い」と言うのも、いじめでよくある話、「いじめられる側にも問題がある」と、かならず、そう持ってくる。
「多数決」で「いいか悪いか」を決めるとは「民主主義」が妙なところにまで浸透しているというか、全く情けない。
「強姦」それも「集団強姦」は許してはいけない犯罪です、となんでならないんだろうな。
女の子がもっている「すてきな彼氏が出来るといいな」の「ファンタジー」を「いけないこと」みたいにする、その考え方にも腹が立つ。
「こんなことがあったらいいなあ」と思ってコンパに参加する、なんてことが一度くらいはないか?
「デートレイプ」がなかなか告発されないのは、やはり「被害者が悪い」の考え方からだろうな。
そういえば、上の子は中学校で「デートレイプ」を「家庭科」の時間に教わったといっていた。
「デートがこわい」といわれ て、「相手を選んでデートしなさい」としか親としてはいいようがないが
「こわくない」と信じた相手に裏切られるんだよな。哀しいし、自分を情けなく思うだろう。
某所にて、あれこれ書いているのを読んだが、若く未熟な女性の「見る目がなかった」は責められるんだろうか?
何故、性欲を制御できない若い男性は「仕方がない」ですませて、若い女の子の「男を見る目がなかった」はここまで責められるか、
「自己防衛論」を唱える人にはそこを聞いてみたい、なんで若い男性の性欲制御を強く求めないの?
何故、若い男性の制御できない性欲は「許され」て、被害に遭う若い女性に「自己防衛」と書くのか、
根底に「女が性欲を持つなんて、、」という嫌悪感がないとは思えないな。
まだ若い女の子に「男はオオカミなのよ、気をつけなさい(古い!)」と教えるべきか?
それをしたら、「男とはそういうものだ」を受け入れさせるようで、
それは結局「レイプされても女は喜ぶ、女とはそういうものだ」の考えともつながりそうで、うんざりする。
男と女の性欲の「違い」を、男は理解しない、理解を拒否している気がする。
強姦被害者に関してわかってるようなブクマをつける人でもこの手の「自己防衛」を肯定しているのは「そこが割れた」って感じだな。
「男性は女性被害者に完全に寄り添えるものではない、それが男というものだ」と、私が書いたら、反論をするだろうけど。
「分けて考えろ」はもうご勘弁、「ああ、そうですか、賢いですね」といっておくわ、他人の痛みは自分のものではないからねえ、、、
「人間」だからこそ、こうなるんだろうな、「動物」の方が人よりよほど優れているのかもなあ、、、