「体罰」シンポジウム、、、

体罰」シンポジウムなるものがあるらしい。
またそのメンツを眺めていると、一体この人たちは何と戦っているのやら、あさって方向に無駄金つかってんな、とため息。
あんたら、「ヤ○ザ」のご子弟、殴れるか?って、この人たちに一度聞いてみたい、私の住んでる地区にはざらにいるよ、
創立以来、「中学生が警察沙汰」と言われたら「○中だ」、と地域最底辺をゆずったことがありません、の
地元母校に私は二人目の子どもも通わせているけど、そこでもし「体罰」が復活した日には、どんな恐ろしいことが巻き起こるやら、
ハンパじゃなく「こわい人」が学校に乗り込んできてしまうよ、もし、その「体罰」なるものが本当に「必要」な子どもに与えられたとしたら。
私が中学生のころ、体罰なんて日常茶飯事で、その頃の方がよほど生徒も悪かったね。
だって「体罰」を与えられる子どもは、本当はそれを「必要」とする子どもたちじゃなかったもの、
体罰を与えても、親が文句を言ってこないような、親子共々、地域での「弱者」に「暴力」は向かう、それはいつでも変わらないこと。
私の同級生の議員さんのバカ息子なんて何をやっても「体罰」されたことなんかなかったね、もっとも、不良の「ぱしり」でバカ扱いされてたな。
要は、「体罰」が「必要」な子どもって「誰?」ってことだ、どこの世界に他人に子どもを殴られて「ありがとうございます」なんて言う親がいる?
文句を言ってくる「ヤ○ザ」はある意味、「正しい」よ、「親」として。
「ヤ○ザ」でさえ、子育てが「わかってる」んだと思うわ、「体罰」推奨してる連中より。
「何故、殴られたか考えてみろ!」ってことなんだろうけど、わからない奴には殴ったってわからないんだよ、残念ながら。
ただ「痛い思いをさせられた」ってだけ、それ「だけ」がわかってたらいいのかな、変な人たちが「教育」を語るもんだな。
それから「誰」が「体罰」をするか、もあるよな、
体罰」をするに「ふさわしい」人がいたとして、そんな人が「体罰」をすることなんてないものね、
だって、そんなことをしなくても、子どもに言うことを聞かせられるから。
もし、この先生が手を挙げたとしたら、それは大変なことだ、みたいな人は、決して子どもに手をあげたりしない、他のやり方を考える、
だから子どもも先生について行く、「信頼」が先生と子どもの間にあれば、「体罰」は必要ない、
体罰」を必要とする「先生」は自ら「出来の悪い人間です」と白状しているにすぎない、そういう「先生」は「クビ」にしたら?石原都知事
今でも教師の中には「言葉の暴力」を振るう人がいるしね。でもその「言葉の暴力」は親が文句を言ってきそうな子供には向けられない。
教育は、それが「誰のため」か、がはっきりしないと、「自己満足」にしかならない。
体罰」は子どものためではなく「大人」のため、特に子どもに信用されない「大人」のためだな、こんな人たちを信用しない子どもたちはえらいよ。
石原都知事、その他の面々は、はたして「体罰」を「される」方が好きだったのか、それとも「する」方が好きなのか、知りたいもんだな。
「される」のが好きなら、おかしな性癖を他人に押しつけるな、と、「する」方なら、その「変質」傾向に「警察」介入を私は求めるな。
ところで、草なぎ君、復帰。大変だったね、、、