今日の予定。

最近、立て続けに3人の親戚が病院のお世話になって、あちこちに行った。
一人は卒中を起こして、現在、リハビリ専門(?)の老人病院へ、
親世代が体調を崩して、医療のお世話になると、その病院にいるのはほとんどが同じ年齢か、上の世代の方々になる。
普段、子どもを「イボ」だ、なんだと、皮膚科に連れて行くのとは大違い。
お年寄りの方ばかりを見ていると、たまに見る赤ちゃんのなんと神々しいことか。
私も、よその子をついあやしてしまう完璧な「おばちゃん」となってしまったよ、、、いや、年寄りがよくない、と言うのではないんだけど。
命がゆっくりと衰えて、やがて「自然」に飲み込まれていくのだろうと理解するようになって、だからこそ、新しい「生」がいとおしい。
赤ん坊を連れている通りすがりの人にも、「産んでくれてありがとう」と言いたくなる今日この頃。
何を書きたかったのか、自分でもよくわからないのだけれど、
人がやがて消えていく確実な「気配」を感じて、その一方で力強く育っていく存在を知っていることは、
いずれ迎える自分の衰え、「死」の不安を少し和らげる気がする、やはり「赤ちゃん」は生み出したその「ご両親」のもの「だけ」ではない。
個人の「趣味」とかで「お世話」を押しつけっぱなしにしていいものか、そんなことを書いてもなんにも出来ないので、
とりあえず、今日遊びに来る従妹の幼稚園児をなめるように可愛がることにする。
わが子たちは部活、試合、その他、でも、もう「送り迎え」以外、手がかからない。今日は従妹の子供に手をかけまくる予定。
「子ども」の存在は、社会の「癒し」だと心から思う。