雑記。

4歳児に癒される。田んぼの脇でクローバーを摘んで、細い用水路に草の船を浮かべて楽しんだ。
久々に「レゴ」をした、「14匹のネズミ」を読んだ。今回、お留守番だった7歳のお兄ちゃんの「お化け」話を聞いた。
連れてきた「おばあちゃん」(私のおば)曰く、お兄ちゃんには「お化け」のお友達が園児時代いたそうで、
夜になると出てきたのに、最近は来なくなった、毎朝、おばあちゃんにお兄ちゃんは「お化けは昨日来た?」と聞いているけど、
「もう来ないんじゃない?」と、でも「おじいちゃんはお化けは「ただいま準備中」って言ってた」と、ずっと待っている。
妹もお兄ちゃんの「お化け」が出てくるのを「待ってる」そうで、「お化けはいつかきっと来る」と、面白いなあ。
でも彼女のその話は「おばあちゃん」の解説がないとわからなかったよ、4歳児の「言葉」が私にはもうわからないのかも。
その「おばあちゃん」こと、私のおばさんは現在フルタイムで働く二人の娘の子どもたち、合計「5人」を一手に引き受けて、育てている。
ちょっとした「無認可」保育園状態、教育方針は結構スパルタ、そのせいか(?)子どもたちは本当にお行儀がよくて賢い。
そういえば、おばさんは自分の娘たちの手が離れたころ、親の介護を一手に引き受けてたな、いやはや、「いつか行く道」、か。
と言うか、「プレ介護」状態の現在、子育てとは「かつて来た道」で、介護は「いつか行く道」になる、としみじみ。どこかで読んだな、この話。
「女の道は一本道」じゃございませんことよ、篤姫の乳母様、「女の道は、行ったり来たり」ざんすよ、おほほのほ。
育児をしているうちに、完全な「自分の時間」を持つことを「あきらめ」て、「あきらめる」ことにも「なれ」て、
だからいろんなことが出来るようになるもんだな、「育児」はやはりすごいよ。
でも、ふと「育児」は子どもが「育つ」のを「待つ」のだけど、「介護」は何を「待って」るんだろう、と、時々、私は哀しくなる。
人の時間って不思議だな、、、