雑談。

デジタルネイティブ」の上の子が、今や我が家でもっとも新聞を熟読していて、先日、朝日新聞で連載している、
「悩みのるつぼ」と「悩みのレッスン」を比べて「なんで大人の「悩み」はこんなにアホなんだろう」と、
確かに、今回「悩みのるつぼ」の「「私って「愛人体質」なのかな?」なんて相談は、以前も不倫をして痛い思いをしたにもかかわらず、
また気になる既婚男性から「君は愛人体質だ」と言われたと、女子高生ですら「遊ばれてるよ!」のつっこみをいれる素晴らしい内容で、
いやはや、これは上野千鶴子さんに「もんで」もらった方が、、、と、まあ、岡田斗司夫も無難なお答えをしているんだけれど、
本当に「大人」は「アホ」やなあ、って、高校生が思っても仕方がないわ、
「悩みのレッスン」には「「生きている」苦しみが切々と語られているのだものなあ、、、
「若い」方が「真面目」なのよ、と「不真面目代表」な母親が答えておいたものの、あの「悩みのるつぼ」ってのは「お笑い」担当なのかね、
いつ読んでも「お笑い」な相談内容であるような、ま、「悩みのレッスン」にしろ、毎回読んでるわけでもないからなあ、、
悩めるお年頃の女子高生は「悩み」と見れば必ず読むようで、自分の「悩み」に自家中毒しないように、親の私は心ひそかにはらはら、
と言って、それも成長過程の一つ、聡明な彼女は必ず乗り越えていってくれるだろう、と見ている。
どこであれ、「大人」の方が「出来が悪い」のは確実、ネットにおいても私も含む「年寄り」世代の方が若い世代よりもやってることがバカだ、
少し前に「ネット世代はストレス耐性がある(かな?)」の記事を読んで、「耐性」があるかどうかは別にしても、
30代以上の「老人」世代よりは10代、20代前半の世代の方が、(人にもよるが)ネットでの振る舞い方、またその使い方を、わきまえている
基本的にネットは「社会」の認識があるので、例えばくだらない「罵倒」をして自己満足している人間の「理屈」は相手にしない、
「社会」で「社会」的に振る舞えない人間にどのような「理屈」があったとしても、
それが聞くに値するものかどうか、情報の「取捨選択の権利」を自分たちが有している意識はあるだろう、
「情報」のあふれた世界で生きるとはそういうことだ、としみじみ子どもに教わっている。
我が子は「新聞」もよく読んでいるが「新聞に書いてあったから正しい」とは全く思っていないようだ。
むしろ「新聞」は情報の速度が「遅い」と、何故「遅い」のか、「遅い」ことに「意味」があるのか、考えている気がする。
草なぎ君の事件にしろ、学校から帰ってきてもう知っていたものね、休み時間中にケータイでニュースをチェックした友達に教わったらしい。
「新聞情報」と「ネット情報」が「同格」である、しかしそれでも「新聞」は読む、この「流れ」がどこに向かうのか、よく見ておくことにしよう。
「情報」の「信憑性」を「デジタル」世代がどのように「選択」するか、若い世代に見習うことは多いなあ、
「悩みのるつぼ」「悩みのレッスン」のちがいはそれを表しているのかもね。
でも、既婚男性から「愛人体質だ」と言われて腹を立てない30前の独身女性にはちょっとびっくりした。すごい人が世間にはいるもんだ、、、