雑談。

某所で「底辺中学から進学すると内申点はよいんじゃないか」説を読んで、確かに。
黙って座っているだけで「満点」をもらえる可能性は「100パーセント」だものね。
ただ、一緒になって騒がないことでいじめられる可能性は200パーセントを超えるのでどこの世界も大変なのよ、、(涙)
「勉強が出来る!」がいじめの原因になる環境は苛酷。
今の内申点は「相対評価」になってるのかな?一時期「絶対評価」だった気がするが、それは小学校の成績か。
絶対評価」だとよほどのことがない限り、みんなが良成績になるので問題だろうが、
わが子たちの中学で真面目に内申点なんかつけようものなら何が起こるか。
とはいうものの、10年近く前に中学生だったわが子たちの問題児たちの親は子供の成績を気にするような人はまれだった。
そもそも、もっとも問題のある子は学校に来なくなっていた。
親が親としての機能を失っていたのが私と同世代の親たちだった気がする。まだ子供の内申点で文句を言う親は「まし」なほう。
先生はお困りだろうが。
上の娘の少し上の世代で高校入試制度が激変したらしく、
それに対応できなかった親の子供が高校にも行けずにうろうろしているのを目の当たりにして、
私世代の親は入試制度を一生懸命、勉強した。
子供たちの中学で問題だったのは先生にもよく制度変化がわかってない人がいて、
そもそもこんな底辺中学の子供が高校なんて行く必要ないだろ、みたいな感覚を持っているのがうっすらわかって、
これが「差別」かー!と、目の当たりにしてひんやりした。私には他国人からの差別より同国人の差別のほうがこたえる。
先生の当たり外れは底辺中学では深刻で上の娘の3年のときの担任は悲惨そのものだった。
よくぞ、これで娘は元・旧制中学に合格したもんだ、しかもトップで、といまさらながら感心する。
知らずしてありとあらゆる困難を克服してきたか、「勉強する」はもっとも単純な万能作業かも。
卒業式のときにすべての憤懣をさらけ出してやろうかと思ったが、下の子が入学なのでやめた。
そして下の子の3年のときの担任も微妙だった。
考えてみれば底辺中学は出来る子は「自助努力」で放っておかれるのが慣習化しているのかも。
仕方がないけどね、親が「出来る」から。
受験の情報収集するのは親が大人だからある程度は出来る。でも一番大切で大変なのは子供を勉強させること。
そういうときには「塾」に外注よ、、、我が家は塾に行かせそびれたが。
知り合いは上手に塾を利用して、子供をその気にさせていた。
やはり「餅は餅屋」、親より他人からの評価が大事な時期だから、塾の先生と関わらせるのはよいことなんじゃないかと思う。
熱心な親は「英語はここ、数学はここ」とお金に糸目はつけてなかった。
それが結果を出したかどうかは、やはり「人による」んだな。
子供とよく話し合いながら熱心に関わった親はちゃんと結果を出しているので、子供と関わることを恐れないで欲しいと思う。
ネットやマスコミは極端な例を出しすぎる。今の受験制度は子供だけで乗り切れるものではない、はもっと認識されて欲しいものだ。