「底辺」なことなどを。

小田原の生活保護関係者が自費でおかしなジャンパーを作っていたニュースで、思い出すのが「喧嘩上等!」のヤンキージャンパー。
私には「底辺」と「底辺」を掛け合わせている感があって、なかなかに感慨深かった。
基本的には「不正受給」がよくないのは当たり前なので、「不正受給を許すな!」はそう責められた言葉ではないと思う。
問題は受給されている人間全員を「不正」と決め付けているかで、これはどうだったのかな?
「もらうべき人に十分に支給を」を掲げるなら「不正受給を許すな!」は十分な正義だ。
とは言うものの、少しでも受給者を減らすための威嚇行為だった可能性はあるので、
私は威嚇をわざわざ服に表すのは、やはりヤンキー感覚の「喧嘩上等!」だよなあ、なんて、
私がこの手の話でうんざりするのが、子供を底辺中学に行かせることには抵抗があっても、
底辺を「憐れみ」の対象として残しておくことには何の躊躇もない人たちがいること。
君たち、底辺中学に子供を通わせてみたまえよ、私も相手を威嚇するジャンパーのひとつくらい作りたくなるのは理解できるわ。
私は「かわいそう!」第一主義ではないことは、はてなで日記をつけてきて以来、ずっと変わらず書いてきているんだが、
胡散臭い「かわいそう!」のネタになる人間はその周囲の人間にどれほどの迷惑をかけているか、
なかなか「ポリティカルコレクトネス」的には書きづらいことがあったりしてだね、
故に私は学校の先生が底辺中学に子供を通わせている保護者とひとくくりにしてこちらを見下してきても、
「まあ、気持ちはわかる」と激しく糾弾はしないのだよ、腹は立つけど。
基本的に生保関係は行きたがる人が少ない、やめる人が多い部署だと聞いている。それは本当にしみじみよくわかる。
大変な人が多いからなあ、、、金銭関係だけではなく、すべてが。
「お勉強」の話が出来るレベルにない親の子供たちが学校に通って、それが同級生で、の環境で、何が学べるか、と言えば、
「かわいそう!」の正義だけで人生を歩むわけにはいかない、で、とても大切なことじゃないかと私は思っている。
小田原の件は色々と出せない事情もあるんじゃないか、あからさまに彼らを糾弾するだけで済む問題か、私は疑問に思っている。
美しい世界へは選ばないと入れないよね、そしてそこに逃げればどんなきれいごとでもいえるよね、なことを思ったので、
とりあえず記録。