今頃だけど。

先日、難波功士の「「ヤンキー進化論」を読み終えて、その中で、かつて私が女子中学生だったころ、
(ヤンキー)少女向け雑誌「GALS LIFE」が紹介されていて、これはその「性的に過激」として国会で取り上げられ結局「休刊」となったけれど、
その当時、その雑誌糾弾を「表現の自由の侵害だー!」ってな意見はでてたんだろうか、と知りたくなった。
今回、見るも不愉快なんで、ほとんどその「議論」(か?)の経緯は知らないものの、朝日新聞でも紹介されていた、
「自分がした痴漢を訴えた相手の妹から母親までレイプして復讐するゲーム」なるものが「表現の自由」だとかなんとか、
「隠れてやれ」の意見も「いけない」とか、いや、もう「表現の自由」と言われたら、確かにそのとおりなんで、
私は新聞で読んだとき、この手のゲームの「需要」があることにがっくり来たな。
「需要」がなければ、「表現の自由」以前に、作られることはないでしょ、
「作る」側にとっての「表現の自由」は認めるものの、やはりそのゲームを「欲しがる」層が存在することには、
(はい、すみません、これも「表現の自由」ってことで見逃してやってください。)「キンもー!」と反応せずにはいられない。
「明日のおまんまのために、作らねばならぬ」はわかる、人間、食べないと生きていけない。
でも、「需要」する側はそれがないと「生きていけない」わけではないでしょうにね。
ま、それで発散されて、生身の人間には決して手を出すことはありません、ならいいのかな、とも思うけど。
ただ、大昔、少女向け(?)の赤裸々セックス系雑誌は「休刊」という「自粛」に追い込まれて、
どう考えても「鬼畜」ゲームは「表現の自由」で守られるのは、「時代」も違うけど、「女」って「消費される」存在なんだな、とあらためて。
国会で取り上げないのかな、と思っていたら、かの「山谷えり子」さんが出てきた時点で全てが「終わった、、」と、
この人のスタンスは多分「GALS LIFE」も今回のゲームも、「禁止、禁止!」一本槍で、ある意味、わかりやすいんだけど、
もっと根本的な問題点をついてくれることはないだろうな。
あの薄気味悪いゲームは「女なんて黙ってやられてりゃーいいんだよ」って、私はそこにうんざりするけど、それを支持する人間もいたりして、
確か「GALS LIFE」のセックス系記事は「女の子から積極的にえっちしてまーす、はぁと」だったような、(違ったか?)
それは「許されない」、でも「レイプもの」は「かまわない」と、
そういえば国会議員で「レイプするくらい元気がある」とほざいた奴がいたな。
つい先日は、色々「すてき」発言をされていた鴻池先生が男女問題で責任をとっておやめになったことだし、
あー、駄目だ、国会議員からしてこのざまだ、子供を作る根本の部分から、間違ってるぜ、イヤになるぜ、
ま、昔より、少しは世間も進化してるんだろう。そう「願う」ことにする。
「過激な性」が認められるのがいいことか、悪いことか、
やはり、痴漢という犯罪行為をした上に被害者をぼこぼこにやっちまうのが「好き」みたいな人が
「性的マイノリティー」として「保護」されるのは「キモイ」と、再び「表現の自由」を使ってみるのでした。
難波功士の「ヤンキー進化論」はそれなりに面白かった。感想はまた後日。