日常。

子どもたちが、中学、高校に入学して1年、やっと「自分の時間」らしきものが出来たかな?と思っていたら、順調に「介護」生活が、、、(涙)
「プレ」状態だけど。
最近、「家族」を「持つ」、「作る」というのは、自分以外の人間の「はじまり」、そして「終わり」につきあうことだとわかってきた。
そのつながりが「私」を作る、辛いことも多いだろうけれど、何とかやっていこうと思う。
肉親を「見捨てる」などと他人に簡単に書ける人間は、その「見捨てる」を簡単にしてしまう人間なのかもしれない、と、とあるところを読んで思った。
人生の深さや重さを意識できていないのかもしれないな。ネットで他人に自分の不安を投影しても、なんの解決にもならないのに。
「お花畑」の住人が子育てできるほど、この世界は甘くない、他人を軽く見ることしかできないのは、自分の存在が軽いからか。
この世界に「お花畑」なんて存在していないことを知っていても、どこかで「花」が咲くことを私は願っている。だから子供を産めたんだろう。
昨日、癒し系の下の子が「チョコレートプリンはチョコレートプリンだけど、プリンチョコレートはプリンチョコレートなんだよ」と笑った。
中学2年になっても、この始末、訳すると「チョコレートプリンとプリンチョコレートが食べたい」だったり。
中間テストを控えている上の子は「新型インフルエンザが来て学校が休みにならないかな」って、そういえば昔、「台風クラブ」って映画があったわ。
高校生たちが「何か」が来るのを待っているのは大昔から変わらないものだな。
家族の「終わり」のあとに、また「はじまり」につきあえたら、と、私にとって「子育ての成功」とはそういうことかもしれない。
「お花畑」ではないこの世界で、人がつながり続けていくことは、単純に見えて、難しい。
だからこそ、「やってみよう」と私は思うのだけれど。