雑談。

ネットで上野千鶴子さんのパーティで姜尚中が薔薇の花束を渡したとかの話をチラッと読んで、思い出したのが、
中島みゆきが白無垢姿で出演しているCM。
確か中島みゆきはパートナーがいるにしろ、未婚じゃなかったか、
同じCMに出演している松田聖子とウエディングドレス姿とは別の感慨が私にはあった。
「純白」ってやはり「きれい」なんだよね、それが何を意味するとかそういうのは「ぬき」にして、一度は「着てみたい」、
子供の頃、そういう「憧れ」を持たなかった女の子はいないんじゃないか、
でも「大人」になるにつれて、そういうことを口に出すことが許されなくなったりして、
結婚に「憧れ」はなくてもこの衣装は「ただ着てみたいだけ」が許されるようになるのは、中島みゆきの年齢になってからなんだろうかね、、
もし、自分が結婚してなくて、結婚に憧れもなくて、でも「ウエディングドレスは着てみたい」が一般的に「許される」と自分が「感じる」のは
50過ぎてくらいかも、と思っちゃったよ、「純白」が示すものは重いなあ、「式服」ってのはそういうものか。
「白無垢」を着たがることで「なんだかんだ言って、やはり「結婚」したかったんじゃん」ってことじゃなく、「コスチュームプレイ」なんだよな、
「結婚してなくても、こんなきれいなもの、着てみたいじゃん」って、私はあのCMが明るくて好き。
フェミの人が花束欲しがったっていいじゃん、それがイケメン評論家から渡されるのだっていいじゃん。
ところで「白無垢」はある年代の人に圧倒的人気がある気がする。
結婚するとき、ドレスには憧れていたので着ようと思っていたけれど、「白無垢」なんて存在することさえ意識していなかったのに、
それを着るように強硬に主張したのが実家の母だった。
「何がなんでも白無垢!」と、娘の思いがけない早めの結婚にいらだっていた母をそれ以上刺激してはいけないと折れて、
「久々の白無垢」という年配の美容師さんと母が「綿帽子」だの「角隠し」だの、盛り上がりまくったので、
私の「白無垢」写真はありえないほどたくさんのパターンがある。
今思えば、結婚式を決めるとき、ダーリンと喧嘩するよりは母親と険悪になる方が多かったな。
若いときの「式服」はやはり「押しつけ」、「拘束服」のような。「自分が着たいから着る」になるには時間が必要と言うことか。
中島みゆきの「白無垢」姿は私には圧倒的な「自由」に見えてまぶしい。
上野千鶴子さんの花束は、、、なんか「努力の証」という気が。
最近、「結婚」の話題をよく見かけるのは、「シーズン」だからかと思ったが
「ドレス」の「白無垢」の、とのんきな話ではなく深刻そうで哀しい。それが「未婚化社会」なのかな。