雑記。

最近、よく「婚活」の言葉を見て、それにどうも「アラフォー」も参入せねばならないらしく、選んで一人でいる人には迷惑な話だよなあ、と思っていたら
何となく「もう老後は一人でやっていけないんで、その覚悟はあるかい」な気配をあちらこちらを拾い読んでいて思う。
そういえば先日、テレビで見た話では、「アラフォー」婚とは「心の支えを求めるもの」だそうで、
ふーむ、親の介護も視野に入ってくる時期、「誰か」を必要とせねばならない「時代」であるよ、とのお達しなのかなあ、
一人では出来ないことも、二人なら出来る、ってのもあるしなあ、、、
しかし、私がこの年まで一人でいて、相手の親戚までつきあいを広げられるか、と言えば、「無理!」の答えしか出なくなる。
しんどさ、めんどくささ、が目に見えてるものなあ、、それでも「結婚」を選ぶ人はえらいと思うわ、心の底から。
「子どもにカネは出しません、自己責任で産んだんでしょう」が「常識」の今の世の中で、「出産」を考えられなくなるのは当然のことだし、
今後は「介護に出すお金もありません」なんだろうけど、それは国がどういう「いいわけ」が考え出すのか、
「介護」される「親」の「自己責任」を問うといっても、本人が「呆け」ていたら、「自己責任」もへったくれもないだろうな。
やはり「親孝行は義務」の「責任感」を子世代に問うのかな。だから最近は「親叩き」がはやってるのかと言う気がしてきた。
「親にこんなに酷いことをされた、そんな親を介護する責任は俺たちにはない!」って、ある種の人は主張してるように見えるしなあ。
ううむ、子どもを「嗜好品」扱いし、親を「トラウマ」にするか、どこまでも「純粋な被害者の私たち」と言うところか、
そういう「世代を救え!」と言われても、納得できない気もするな。
30代が「ロスジェネ」と呼ばれはじめてどれくらいたつか、
この世代のかしましさは最近読んだ本の影響で「団塊世代ジュニア」でもあるせいなのかな、なんて思いつく。
その下の世代は、と言うか、私の子ども世代がこんなに騒がしく自分たちは被害者だ、と主張するように思えないな、その「元気」もない、と言おうか。
それはそれでかなり「気の毒」ではあるんだが、政治的に沈黙世代であった親(=私)の影響もあるといえるか。
「世代」論でくくるのは相当乱暴な意見であると、このあいだ読んだ本でしみじみ思ったけど。
その感想を書くつもりで書いていないな、明日から書こう。
「婚活」とは「ビジネス」である、と私には見える、でも現実的な「生き延びるため」の「手段」でもあるよなあ、、、と色々読んで思ったのだった。
ふと「恋愛至上主義」なんて言葉はどこに行ったのかな、と。
昨日、麻生総理が「子どもを二人、作った私は義務を果たした」と言ったとか。この発言より、私は麻生総理の結婚が意外に遅かったのに驚いた。
あのお年で40過ぎまで独り者、と言うのは(経済的に問題もなかっただろうし)何故なんだろう、なんて「おばちゃん」的疑問が。
しかし、言わんでもいいことを言う人だよなあ、、、