「共同研究 団塊の世代とは何か」を読む。(その2 佐藤、平野へん

(「共同研究 団塊の世代とは何か」を読む。(その1 佐伯啓思へん)http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20090429 のつづき)
先日、佐伯啓思の「12年周期説」に妙に納得していたところ、ブクマで「占い」云々の指摘を受けて、「おお」と。
私は「12年って「干支」みたい、佐伯先生、センス古い」と思ってたんで、「干支」の一巡も「星回り」とか「易学」が関わってたんじゃなかったかな。
一応、佐伯説は「12年おきに重要なことが起こる」と「60年安保」やら「石油ショック」「プラザ合意」などが「12年おきだ」とのことで、
まあ、ひとたび「12年」と思いこめばそのあたりに探せば何かがあるはずで、でも、そういわれてみればなるほどなー、とも思った私であった、、、
「家庭の医学」を読みふければ、ありとあらゆる病気にかかっていて瀕死状態だと思いこむ私だもの、ほほほのほ。
「世代論」とはかなり乱暴な意見で、そのようなものが「必要」かどうか、
このあと、年齢からすると「団塊世代ジュニア」に当たる平野啓一郎が指摘していて、興味深い。
平野は年上の姉がいるので親は「団塊世代ではなかった」と、故に「世代論」である年齢層を切り取るのに意味があるのかどうか、と問う。
「世代の声」とは「あとから作られた」「人工的なもの」ではないか、
(佐伯があげたような)「ある大きな出来事」は「恣意的に選択される」、
「このように恣意的に選択された「ある大きな出来事」を軸にして「世代特有の価値観」が政策的な観点や歴史記述、
あるいはイデオロギー的な観点やマーケティングの観点から自由に創造的に語られ、世代論が作り上げられていく。
一時代の人間を、ある種暴力的に同一性の元に回収してしまうという側面が「世代論」にはあると言えるでしょう」
と、おお、佐伯先生説、全否定。
そういえば、平野啓一郎は京大出身だ、なにげに嫌いだったか、佐伯啓思、「もっとやれー!」とか思ってしまう私は全く、、、、
京大と言えば、平野が属するらしい「ナナロク世代」の一人として「はてな」の近藤氏の名前も挙げられている。
「へー」と、私には佐伯啓思説よりは平野啓一郎論の方が面白かった。
第3話である平野の方を先に取り上げたけれど、第2話は佐藤俊樹氏が団塊世代の「数」の多さを取り上げて、これもなかなか。
しかし、この本は、「共同研究」なんてご大層なもんじゃないよ、内容が。
ただ「団塊世代とかけて!」と「お題」を出されたそれぞれが「てきとー」なことを語ってるような、
「すてきエッセイ、団塊の世代」とした方がより、本としては正しい在り方だと思うが、本棚に飾ったとき、「様」にはならんわな。
苅部直」さん狙いで借りてきた本だから、そういう志の低い私を戒めるための本なのかしらね、
第4話の苅部さんを読んだとき、「なんでこんな本、読んでるんだろう、私」と、空しくなってしまった。
長くなったので、続きはまた明日。
ところで、平野啓一郎の奥さんは、私ぐらいのおばはん向け雑誌で超人気、たいそうべっぴんモデルさんの「春香」だったりして、
最近「ミセス」だの「ドマーニ」(だったかな?)で平野啓一郎をよく見かけて、この人は小説家としてどの方面に行くんだろう、
島田雅彦」系にでもなるんだろうか、と思った。(いや、別にいいんですけど)お顔は島田雅彦より少々、「あれ」なんですが。
お顔、と言えば先日、上野千鶴子さんのパーティで姜尚中が花束を渡したとか、姜氏は大変な「ハンサム」なんだとか。
ま、内田樹先生は絶対上野先生のパーティで真っ赤な薔薇の花束を渡したりはしないだろうな、と言うか、やはり内田先生は「トミーズ」だからか、
と、大変下世話に思いついたこともついでに書いておくのでした。なんとお気の毒な、消費される知識人たちよ!!(涙)