ぎょ、ぎょ、ぎょ。

読んでる本の感想を書く予定だったけど、ネットであまりにも香ばしい話題を見つけてつい、、、
嫌韓流」の4が出るそうで、その一部をチラッと紹介されているところを読んで、こんなもの、先進国で出版していいんですかねえ、、と。(遠い目)
お金さえもらえれば何でも書きます、な人がいるんだなあ、そうとでも思わなければ、精神の安定を失いそうだ。
ホメオパシーの「豚インフル」話も酷いが、これも酷い、「理系」教育の凋落は、今に始まったことじゃないって気がした。
大体、なんでこんなに隣国のことが気になるのか、それも妙な理屈をひねくりだして、貶めたくてならないのか、ここまで「粘着」するのか、
嫌いなら嫌いでいいから、無視したら?特に困らないでしょ、と言いたくなる。
学生時代の恩師が「自分が嫌だと思うモノを見つめなさい、その中に自分自身がある」と話されて、
ことある度に対象を観察してわかったのは、「嫌悪感を持つ自分の醜さ」だけだった。
「嫌悪感をもつ」とはそもそも醜いものである、と、それが理解できるようになった。
その自分の醜さを隠すために「自分は『相手を思って』批判しているだけだ」なんて自己欺瞞をするのもよく見かけることで、
これがネットの「子どもがかわいそう」なんてかたちによく現れてるようにおもう。
今回の本でも
「強姦できないような 心優しい朝鮮人は 若い女性の数が 少なかったから 子孫を残すことが 難しかっただろう」などと、
「かわいそうに思っている心優しいわ、た、し!(はぁと)」と、ぬかりがない。
「かわいそう」なのは、意味もなく見下した相手に馬鹿げたプライドを傷つけられた「自分」でしょうにね。
ディケンズの小説にもあるように、何故か人は自分が貶めている存在から無条件な賞賛をもらいたがっていて、
それが与えられないからと、憎んでいる対象を更に憎む、憎んでいることすらも見えないほど、激しく憎む、
「そんなことはしていない」と自分にひたすら言い訳しながら。
蔑ずむ対象を必要とする自分自身をよく観察した方がいいんじゃないかな、こんな本を読みたがる人間は。
自分の醜さを自覚することなく、相手を「差別はしていない」「批判しているだけ」とごまかす心を認められない弱さが、
この手の「とんでも本」を求めるのか。
せめて弱さを克服するほど強くなれない自分に気がつけば、意味のない「嫌悪感」から目を背けることが出来るだろうに。
ごく一部にしろ、このような本を求める層が存在することを、同国人として恥ずかしく思う。
なんだかひたすら「朝鮮人はこわい」とアピールしているようだが、このような本が日本で出版され、
また、北朝鮮に好意的らしいデヴィ夫人右翼団体に非力なのを思うと、相手はそれほど「強力」な「敵」!には見えないな。
「国辱」な本に反応してはいけない、と思いつつ、ついぼやいてしまう自分も弱い、と思ったのでした。とほほ。