「共同研究 団塊の世代とは何か」を読む。(その1 佐伯啓思へん)

豚インフルエンザ」ニュースが喧しい今日この頃。「リレンザ」「タミフル」がきくとのことで、その気休めを信じることにする。
メキシコ以外でまだ死亡者が出ていないことだし。
我が家ではここ10年ほど、インフルエンザワクチン接種を心がけているのに、
何故か今年は全員がかかって、(2回かかる奴もいた)かかるときはかかるのよね、、、死亡原因の詳細を待つ。
で、読書日記。
団塊の世代とは何か」は、15人の「団塊世代観」を紹介していて、トップが1949年生まれの京都大学教授「佐伯啓思」、
この方と同世代を「団塊」と呼ぶらしい。
私はこの佐伯氏が苦手で、朝日新聞で時々談話が紹介されることがあるんだけれど、いちいち「むか」となる。
一言で言えば「へっぽこ硬骨漢」って感じで、この人が団塊世代代表であれば、相性悪いな、(そういう話ではないが)
でも、それなりに面白いことが書いてあった。
彼は、「世代」を12年周期でとらえていて、前半の6年が「上り坂」でその世代の主流となる傾向を作り上げる、
後半の6年世代は「下り坂」、前半期の世界観に「何となく」追随したり反発をして「振り回される」、
そして次の「12年」の前半がまた新しい「価値観」を作る、とこの考え方は説得力があった。
わりと当てはまってる気がしてしまうのは、「家庭の医学」を読めば全ての病気にかかっていると思いこむようなものかしら、、、
それはともかく、佐伯氏は「団塊世代」は「しょぼくれている」「元気がない」と同世代に辛辣。
その原因を団塊世代の「親」世代が強烈な「戦争体験」を経てきているのに対して、自分たちにはそうした経験がない、
「戦争」という悲痛な洗礼を受けた親に反発しつつも、よりどころになる世代で共有する大きな「出来事」がない、
また、戦前の人間である「親世代が醸し出していた倫理観、規律に染まりながら」も「学校」で教えられた「民主主義」が頭にある。
「ふたつの価値観の間にある種のギャップを感じていた」世代である、と
戦前世代の権威主義に反発しつつもやはりその「権威主義的な考え方は残ってしまった」など、
私が佐伯氏に感じ取る、どこか不安定な部分がそこに要約されているようで、興味深かった。
「中途半端やのぉー!」ってな「イラッ」と感を持ってしまうのは、そのせいか、いや、ご自分のことがよくわかっていらっしゃるようで大変ご立派。
私は1960年代後半生まれで、親は戦争を子ども時代に経験した世代で、「団塊世代」とは少々「価値観」がずれている。(ような気がする)
少し話は飛ぶが、「団塊世代」から「世代論」が活発化した、的な意見も続いての論考に出てきていて、
私の父親はいわゆる「昭和一桁」と呼ばれていた人たちで、その「世代論」も既にあったと思う。
父親は、私の子ども時代、「ルパン三世」を見ていると、「銭形のとっつあん」が「昭和一桁」だと聞いて涙ぐんでいたような人だったなあ、
アニメの登場人物にさえ妙な「共感」というか、「思い入れ」というか、を持ったりして。
父親は「一桁」と言っても最末期、「9年」生まれなんだけど。(銭形のとっつあんもそうだっけ?)
「脱線」ついでに、ついこの間、初めて「エースを狙え!」を読んで、「岡ひろみ」の父親に戦争従軍経験があるのに驚いた。
うわー、そういう「時代」だったんかー!って、じゃあ「お蝶夫人」も「岡ひろみ」も「団塊世代」なのね、、、、私とはあわないはずだよ、ぶつぶつ、、
と、だらだら読んでる本の感想をゴールデンウィーク中は書き残そうかな、と、
「豚インフル」があろうがあるまいが、「剣道大会」もあるし、小旅行もする予定なのでした。つづく。