めも。

今週は家庭訪問ウィーク。考えてみれば、もうこれも来年で終わるのよね、、高校では「ない」し。(涙、か?) 忙しいのでメモ。
痴漢に遭いやすいとか色々なブコメを拾い読んで(ブコメだけでおなかがいっぱい)、結局、私がいちばん悔しかったのは
痴漢をするような人間に「御しやすい」相手、と侮られたこと、卑劣な人間に見下されたことにいちばん傷ついた気がする。
それから、「弱い」と見た人間に思いがけず抵抗されたとき、どれほど人の顔が醜くなるか、それを見せられたのが哀しかった。
若い頃は辛いことが多かったなあ、うんざりするほど。私は今が幸せだ。
痴漢をする人間って、自分が痴漢をしているくせに、「痴漢をしている」と他人から「思われる」のをいちばんおそれているようだ。
「いじめ」をする人間と同じだ、いじめをしている人間に「いじめをしたでしょう」と言ってもそれを「している」と「認める」ことが、ない。
何故か、他人の「目」を気にしているんだな、「被害者」以外の。「被害者」だって「他人」に間違いないのに。
多分「被害者」は痴漢やいじめをする人間にとって「人」ではないんだろう。自分の「所有物」のように思ってるんじゃないか。
痴漢の被害にあったとき、抵抗のそぶりを見せると相手は必ず「なんで!」みたいな反応をするんだな、
「なんで」って「いやだから」に決まってるでしょう、なんだか、痴漢する奴の脳内ではもう私の「役割」が決まってるようで
それに応じない「私」が「悪い」と、これは「いじめ」でも同じことが言える、「いじめ」でもそれを拒否した人間が「悪い」かのように扱う。
ネットでも同じことがよくあるな、勝手にこちらに「役割」を振ってきて、それを拒否すると執拗に攻撃してくる。
でもそういう嫌がらせをする人間が「いじめ、よくない」的なブコメをしていたりすると、何の冗談?と笑いたくなる。
「ネットストーカー」なんて言葉があるけど、私は「ネット痴漢」って言葉を作ってもいい気がするなあ。(もうあるのかな?)
他人を思い通りに動かしたい、痛めつけたい、と願う人がいるのは何故なんだろうな、「他人」は「自分」ではない、と言うのに。
もっと深く考えたいけど、時間がないので、また後日。つか、私がこんなこと考えたって、何にもならんわ、ネットによくあるへっぽこ分析も見飽きたし。
臓器移植法案のニュースが気になる。脳死の子どもの臓器の話には、ぞっとさせられる、
自分はドナーカードを持っているものの、子どもにはそれを持たせたくなかったりする、「矛盾」していると思うが。
考えたくもないが、もし、子どもが脳死状態になったとしても私は臓器提供など、絶対出来ない。それを必要としている人がいてもやはり駄目だ。
どうなるのか。何が決まるのか、こわいなあ、と。
さて、お掃除だ。