いやはや。

久しぶりのネット日記に書くのは「現代ビジネス」ネタなんだが、
ここは胡散臭い論をさも学術的に取り上げる傾向があって、これならまだ「サイゾー」あたりのゲスネタのほうが信用できそうだ。
「痴漢は病気」論は昔からあるのは知っているし、犯罪傾向を持つ人間がどこかしら病んでいるのは確かだろう。
しかし「10年で500人」は「エビデンス」になりうるかね?
痴漢被害は表に出たものだけでも「10年で500人」なんて甘いもんじゃない。
治療で予防が出来るのは大いに結構なのかもしれないが、むしろこの手の論理は、加害者側に有利に働くのじゃないかな、
一般では「まあ、病気だから許してやってよ」がすぐに流行る。社会は男性に有利だからね。
先日、歩いていたところにわき見運転をしていたおばちゃんに車でつっこまれ、危ういところで逃げて手だけを負傷したものの、
警察は軽めの事故は記録に残さないことを発見して驚かされた。
事故として記録に残ってなければもし加害者が、治療費その他の支払いを拒否しようとしたら、できるらしい。
幸いにしてそのことを人に教えられて、あわてて被害届を出したが、警察はあからさまに面倒くさそうで、腹が立ったわ、
「被害」とは、むしろ無視したほうが管理する側が面倒じゃなくてすむようだ。
加害者のほうが守られているのだな、と今回の交通事故でうっすらと感じた。わたしは戦うけどね。ちぃっ。
痴漢の話に戻せば、反社会的傾向にある人間が何らかの精神疾患を持つのは当然のことだろうが、
その精神疾患者が集って女子高生に性犯罪を行う事件などはいったいどのように考えたらよいのか、
社会性のある精神病者は治療してなおるものかね?
そもそも、精神病院に通ったり、入院したりする人は危険ではないらしい。
自分が「病気」であるとの認識を持つ人の危険性はかなり低いそうで、「むしろ危ない人間は病院に来ない」そうだ。
この「現代ビジネス」の論の「エビデンス」がどのように抽出されたのか、
それはさっぱり書かれていないので、わたしは信用するのは保留しろ、とここに書いておく。
自分で「痴漢しそうになるんです!」みたいな人が月に5人程度やってきたのを診た、ではなんともあやしいような、
「なんとなく学術」的なものをやたらと「現代ビジネス」は出したがる、
講談社もくずい会社になったもんだな、の印象だけが強い私であった。
ま、精神科医がこれで儲かりそうな気がしないでもないような。
でもたぶん、自分から治療に来るのはかなり良心的な人間であるのは間違いないだろうな。
「犯罪は病気である」論が一般化したときにどのような形で現われるのか、
それも「エビデンス」としてはかなり社会的になってると思うのに、
この手のいい加減な形を浸透させようとするのは、何らかの別の意図があるんじゃないか、とわたしは疑っている。
加害者ばかりが得する世の中よ、、、ってのをちょっとした交通事故で感じたわたしであった。
ちょっとした事故だの事件だのって、被害者にとってはダメージが大きくても、
警察にとっては面倒くさい書類仕事でしかないことなのでな。
「病気だから!」がどのように被害者たちに使われるかをわたしは恐れている。
事件を事件として訴えるのは被害者にとって相当ハードルが高い現実は「現代ビジネス」で取り上げてくれるかね?
ま、眉唾「現代ビジネス・論」と覚えておこう。
長くパソコンをうつとまだ手が痛いわ、、(涙)