卑怯を誇るな、ということ。

はてなでは案の定「発達障害、生きにくい!」の自称発達障碍者がホットエントリをにぎわせて
「かわいそうな新幹線事件の加害者」と言う雰囲気がねっとりと匂う。
発達障碍者で殺人を犯す人間なんて極めて「まれ」なんで、お前ら、冷静なフリして馬鹿を晒すのはやめろ、と心から。
どんな事件でもそうだが、人間が戦争以外の通常生活で人間を殺すのはまれであるし、発達障碍者が人を殺すのも同じことだろう。
こういう詭弁じみた発言がまた発達障害の誤解を募らせるのだろうな。
かの記事を書いた筆者はそのうちノートで記事を売り、電子書籍ぐらいなら出すかもしれない。
今「発達障害」は「毒親」がいまひとつ廃れた中、人の感心をひくホットワードだからね。
何でも「発達障害のせいで生きにくいー!!」と言えば、許されるようだ。
そんなマジックワードに何度も騙される馬鹿はどこにいるんだろう、
はてなにしかいないのか、騙されているふりのはてなの業者か。
新幹線の事件は加害者は自由席券で指定席に座っていたと言う説があって、
それが本当なら、20代の若い女性が近くに座っている席をわざわざ選んだことになる。
「女性だったのはたまたまだ」説がブコメにあったが、やはり若い女性を狙ってるんじゃないか、
これはある意味「性犯罪」でもあるんだが、それでも「発達障害だから!」とでもいえるかな?
じゃあ、たいていの悪質な痴漢は「発達障害だ!」と主張すれば、許されるね、
なんて素敵な国なんだろう、たいていの犯罪は「発達障碍者」が起こしたものと言っても過言ではないしね。
「逃げる勇気!」なんて言葉をぬけぬけと書く「勇気」ある人間がこの世界にはいて、
それを被害者の家族がどんな気持ちで目にするか、考えもしない。
被害者がかばわなければ、おそらくは若い女性が二人もめったざしにされて殺されただろう、
それを容認することを「逃げる勇気!」などと書く、その心根の醜さにたちむかう「勇気」は持ち合わせていない。
逃げるのは本能だし、勇気なんて要らないんだよ、そして勇気は見知らぬ人間を守ろうとする人間しか持っていない。
勇気なんてものは殺人と同じく極めてまれなものである、の認識が、はてなのある種の人間には欠けている。
その現実に対峙する「勇気」はかけらほどもない。本当は「勇気」なんてものはかけらほども持っていない。
せめて「卑怯を誇るな」くらいは理解できないものか、
私を含めてたいていの人間は卑怯で弱い。でもそれを常に認識して生きることは出来る。
せめて「卑怯」を誇ることなく、生きることは出来ないものか。
ところで、さすがに「あの新幹線の同じ車両に乗り合わせていた俺!」と言う馬鹿はまだいないようで、
少なくとも、やはり心を痛めているんだろうと信じている。それは私には救いだ。
発達障害で生きにくいから犯罪に走った」なんてのは
「人間だから人間を殺すのは当たり前」と同じくらい危険な言説であるのに気がつく知性をまだはてなで見たことがない。