せつないということ。

カルデロンご一家の別れの映像を見た。ご両親から離れるときに、中学生のお嬢さんが腕で顔を隠して泣いていた。
制服姿のその「腕」で涙をぬぐう仕草が、ああ中学生だ、と思った。
手放しで泣くにはもう大きすぎる、でも「手」で覆うやり方には、まだ幼い、
ごく普通の中学生の制服からは教科書や鉛筆、消しゴムの匂いがする。
涙をぬぐったあの制服の袖は普段、机にこすられてきっとてかてかに光っていることだろう。
あの子は親と別れるときに、学校の匂いをかいだのかもしれない。
いちばん大事な時期にいる子どもから、親が寄り添わねばいけない年齢の子どもから、親を奪ってしまった。
その罪深さに気がつく人はどれくらいいるんだろう。
それなのに「正義」を名乗る団体は、その別れの前に、子どもを脅かすようなことをしていた。吐き気がした。
人権を踏みにじる側にすら、人権があるのを知っていても、許せないこともある。
とあるところで「素朴」な正義感、の言葉を見かけて、
「素朴」な人間が、中学生から親を取り上げるようなことに賛成するのかな、ましてや不安な子どもに苦痛を与えることをするかな、
「素朴」の言葉をバカにしすぎじゃないのか、と思った。
同じくらいの年の子供を持つ親の立場としては、親のことを忘れるほどの楽しいことがこの国であの子にたくさんあるように願う。
涙を制服姿の腕でぬぐう仕草には、本当に胸をつかれた。