しゅうあくのせいり。

あのデモの醜悪さは「負けた側」を叩きに行った点につきる。
一つの家族が、この国で一緒に暮らす、そのための「闘争」を正々堂々と行った、そして結局、家族では暮らせなくなった、いわば「負けた」のに、
静かに暮らしていた家族を引き離す方に「正義」がある、と考えた側はその「目的」が果たせた、つまり「勝った」にもかかわらず、
「負けた」側をより酷く叩いた、この国に残されるか弱い「子ども」を、考えてみれば、「いじめ」は絶対「勝てる」と踏んだ相手にしか行わない、
あの「デモ」はいい年の大人が「いじめ」を平気で「やってます」と、「この国はそういう国です」を吹聴して歩いていたんだから、
これに吐き気を感じない人間はきっと「いじめ」を平気でやって来た側なんだろう、ブコメでも「これが日本人の意見だ」と「数」を強調してるし。
いじめる側は必ず「数」を強調する、「正義」は「数」である、と、なんとシンプルな構造よ、「考え」ずにすむのはこの上なく「楽」。
そして、相手よりも自分たちが絶対に「強い」と「信じられる」は魅力的、「勝てる」ゲームは「楽しい」んだろう。
この国の言葉を子どもの母国語に選び、子どもをこの国で育てたいと願った人を追い出す、
今回の件で、しみじみ、この国で「他国出身」である、とは「犯罪行為」とされる、がわかった。
これほど偏狭な国が自分の母国である、それがもっとも醜悪だ。醜悪すぎて、涙も出ない。