東京見物記。(終わり)

東京では行ったところのせいか、軽自動車をほとんど見かけなかったな、狭い道や複雑な交通事情なら軽自動車が便利だろうに。
高い駐車場費を払える人は軽自動車なんか乗らないってことか、これだけ交通網が発達していれば車なんて必要ないしね。
「はたらくくるま」の種類の多さには感動、田舎ではこんなトラック、見かけないなあ、なモノをよく見た。楽しかった。
東京で見かけなかったものはユニクロや軽自動車だけではなく、お年寄りと「ヤンキー」も関西地区ほど見かけなかった。
なんと、アブナかしげな「ヤンキー」がいない!これはショック、やはり地元のヤンキーを確かめねばいけないというのに!!って、
新宿の一地区に行けばいくらでも出会えたんだろうが、「行ってはいけません」のお達しが、親戚から出たのでした。
お年寄りは「巣鴨」とかに行けば出会えるのかな、「巣鴨」と言えば「巣鴨プリズン」、今度はここをたずねることにしよう。
都内に住むお年寄りは、足腰が特別丈夫なんだろうか、やたらと坂や階段が多くて、道も狭いし、行き来するのが大変じゃないか、
なんて考えてしまうなあ。
でも地元の人が住む地区はコンパクトにまとまってそれほど住みにくくもないのかもしれない。
よく、東京都はいろんな地方がぎゅっとつまったような所だ、とか、「区」を超えるのは「県」をまたぐようなもの、と聞いたけど、なるほど。
なんのかんので、親戚がつきあってくれたので、何不自由ない東京滞在、いつも大事にしてもらって申し訳ない。
さて、今回、自分への「おみやげ」は、子どもたちがしっかりしていると確認したこと。
「家族旅行」と言えばいつもダーリンの完璧な旅程とナビで、道に迷う、なんてことは全くないのだけれど、
このたびは私の雑な旅程で、行き当たりばったりにふらふらするのを、子どもたちが「ナビ」してくれた。
地下街などでわからなくなるとすぐ地上に出て「ヘイ!カモン、タクシィ!!」とやりたくなる私を押さえて、
「これはこっちだと思う」とか、「こうした方が早いかも」と、考えてくれた。上も下も驚くほど、自分で考えてあれこれ出来るようになっている。
旅をして、子供の意外な一面がよく見えて、面白かった。
二人とも、同じ答えを導き出すにしても、その経緯が全然違う、上の子は情報を集めてそれを頭の中で組み立てて、答えを出す、
下の子は、一つ一つを自分の目で確かめて、答えにたどり着く、要は、目的地に着くまでの道のりを考える時、どうするか、で、
二人がそれぞれのやり方をもう持っているのに感心した。これなら、どこに行っても大丈夫だ。
大学をどこの地に選んだとしても、よろめきながらでも、何とかやっていけるだろう。親戚がいるから、と東京にこだわる必要もなさそうだ。
子どもたちにはせっかく来たんだから、何でも欲しいと思うものは買ってあげる、と言っておいたのだけれど、それほどあれこれ欲しがらなかった。
ゴスロリ」服にしても、私としては「土産話」にもっとかっとんだ服を買ってもよかったのに、「普段にも着られる服がいい」と、よく考えて選んでいた。
買ったスカートがアシンメトリーなので「おばあちゃんに裾を切られるかも」と、ずっと以前に気に入っていたワンピースがそういうかたちで
大いにダーリンおばあちゃんに不評だったのを覚えていて、「おばあちゃんの所には着ていかない」って、ほう。
自分に必要なものを選べるのも、わかるのも、たいしたものだ、デパートで、可愛いネックレスを私が見つけて、子どもたちに買おうとしたけれど、
もっと自分たちに似合うものをちゃんと選んだ、私が選んだものよりもずっとよく似合って、的確だった。二人とも、母の趣味を超えましたな、、、
ところで、二人とも「フカキョン」ファンであることを知って、それで「ゴスロリ」服を着たくなったらしい、
フカキョン」ちゃんは意外に女の子に好かれるのか、そういえば、何となく雰囲気が「男前」だしな。私も好きだ。
下の子がケータイで写真を撮ったのを見ると、「いまどき」の子は見ているものが違うな、と
友達に送っていたりして、そういう使い方をするのはかっこいいな(写真も)、と思ったのでした。
とりあえず、東京見物記、こんなところで。終わり。