お片付けを少し。

「春の大掃除」という動物系児童文学(?)によく出てくる言葉が好きなせいか、春は「お片付け」のシーズン。つまり「捨てる!」ということだけれど。
私の家が片付いているように見えるのは、ものを見えないようにしているせいで、あるものはやはりあるんだな、捨てないと。
この「大「捨てる」祭」、去年、上の子の受験が終わった時に、それまでの参考書類をどうするか、かなり迷った。
下の子に使えるかも、とZ会などをおいてあったけれど、3年たつと、カリキュラムが変わる。
正直言って、下の子の方が教科書内容も充実している、特に数学なんかは「これを習ってないと高校で困るじゃん!」がちゃんと入って、
やれやれ、よかった、よかった、って上の時もちゃんとやってよー!(涙)ま、これも、現場がブースカ文句を言ったおかげだな、
なんでもやらないよりマシ。
で、上の子のせっかくの参考書類は、ある程度処分することにした。(1年かけてやっと決断した)使えそうなものをかなり絞って捨てる、
納戸も風通しよくしないと、「かびる」しね。
「捨てる!」ことについて、実家の状態を見ると考え込む、「自分で捨てる」が出来るうちに出来るだけやっておこうかな、
年をとると、「捨てる」が出来なくなるのがわかるから。
年をとると、もう捨てられなくなるんだなあ、それは自分の人生を「捨てる」ことにもなってしまうようで、
その気持ちがもうすぐ、大人になって出て行くだろう子どもたちを見ているとわかるので、実家の親に「捨てろ」とは言えない。
実家ではもう「もの」は増えない、子供が出て行ってしまっているから、家の中にあるものは子どもたちの「軌跡」、
私がそれを「捨て」はじめたら、ものすごく不安になるようで、「年をとる」ってこういうことなんだなあ、とつくづく。
最近、でもなくこの2年ほど、親が年をとった、を目の当たりにしていて、わかったことが多い、でも、「私の家」では捨てるのよ。
「捨てる」が出来るのはまだ「若い」と、ああ、それでも寂寥感が、、、
「捨てる」とか、年をとった親とつきあうとか、思うことはやまほどあるものの、忙しいので、おしまい。今日は法事。