雑記。

カルデロン家の何ともやるせない決断を悲しむ。まだ中学生の愛らしい女の子を残すのは親としてどれほどの痛みを覚えていることか。
こんな哀しい結果を受け止める、たった13歳の女の子に誰が何を言えるだろう。再び家族で静かに暮らせる日を心から願う。
自分の子供と同世代を見かけると、つい、同じ「お母さんと一緒」を見たんだろうな、同じメーカーの紙おむつ、ステップアップミルクを飲んだんだな、
とか考えてしまう。幼稚園か保育所で同じようなお遊戯をして、同じ時に小学校に入学して、、、と、まあ、私も考えることが「おばちゃん」だな。
と言うか、もう「おばあちゃん」かも、最近、ネットで赤ちゃんの話題をよく見かけて、「おぉおぉおぉ、、(エンドレス)」となる。
子供の「教育」について、教材を使うのは4ヶ月はまだちょっと早いかなあ、とか、「ほめて育てよう」とか。
ほめるのは大事、でも怒るのも大事、と、いちばん大事なことは怒ったことを親があまりくよくよ考えないことだなあ。
怒る親を世間は責めすぎのような気もする。親だって人間、腹が立つことはある、親になったとたんに「神」になれるわけではない。
怒ったことに罪悪感を持つような人が子供を将来にわたってまで深く傷つけるほど酷いことをするわけがない。
私は、もう少し自信を持って「自分の子育て」をしていいと思う。「間違ってる」とわかった時点で引き返す勇気があれば何をしてもいい、と、
雑なことを書くよなあ、私も。
でも、私が子育て論に対していつも思うのは、焦ったり後悔したりする親の心を、当然のものとして受け止めているものが意外に少ないこと、
「育児」とは、「感情を殺せ」ではないと思う、子供とまっすぐ向き合うこと、でもそれが何を意味するのか、これだけではわからない人もいるだろう。
「まっすぐ向き合ってるといって、「監視」している。子供の個性を押しつぶしている!」とか言い出す人間もいそうだしね。
それしか思いつけない人間は多分そんな子育てしかできないんだろう、別のやり方を試した方がいいね。
よく子供を見て、その状態がよくない、と気がつけばすぐにでも軌道修正して、と、だんだん育児も「こつ」をつかめてくる、
焦らないようにしよう、と思うことも、親にとってはプレッシャーだったりするので、難しいよねえ、、私も未だに失敗ばかりだ。
それでも、子供には親が必要なのに、その親を二人とも取り上げてしまうこの国は、本当に子供を大事にしているのかどうか。
とんでも都議たちの情けない一件にせよ、なんだかとてもイヤな感じ。ずっとこの国で育つことの意味が時々見いだせなくなったりする、情けない。