「未納」問題を思う。(長いです)

授業料未納の生徒に対して、卒業証書と引き替えだ、と学校が通知した件について現在高1の子供のいる私が思ったのは
授業料納入の手続きをする「事務局」はそれまでどうしていたんだろう、と言うこと、
高校のたいていの費用に関することは「事務局」が扱っていて、校長先生が関わる話はまだ聞いたことがない。
ネットであれこれひろい読んでいると、なるほど、校長先生には「退学」などの「裁量権」があるのか、と初めて知って驚いている。
「卒業証書が欲しければ、カネを払え」とは、事務局の暴走、と言おうか、校長先生の苦肉の策と言おうか、
他に手を思いつかなかった学校の無策にはあきれるが、一方で、そのようなことをやらずにはいられなかった学校の苦悩も私にはわかる気がする。
子供が通うのは進学校で、建前、「大学進学前提の恵まれた家庭出身者が多い学校」なので「学業優先」「原則バイト禁止」だが、
昨今の大不況で、せめて自分の月々の学費、教科書代くらい自分でまかなおうとする生徒は増えている。
元旧制中学の伝統校の生徒が学校帰りに制服姿で近所のスーパーでレジうちをしている。これは昔では考えられない姿だ。
私が高校生だった頃の、自分の「お小遣い」ほしさに「バイト」をするのとはわけが違う、
比較的、経済的に恵まれている家庭出身者が多いはずの高校ですら、当たり前に「家計」を助ける子どもたちが多く存在する。
遊びたい盛りの10代の子どもたちが部活もせず(部費のためにバイトをする子供もいるが)にバイトをして、自分にかかる費用を捻出する、
そういう「働く」生徒たちから、「授業料」を受け取る学校の「立場」を考えると、親の不行き届きの「授業料未納」を見逃すのは苦痛だろうと私は思う。
せめて、「ポーズ」だけでも「厳格な態度」をとりたかったんじゃないか、私は「学校」のやり方をそう見たい。
だから、新聞に取り上げられた学校ではすぐにその対応の悪さを謝罪しているのだし、それ以上、責めることもないだろう。
私がこの授業料未納問題で思い出したのは、一時期「ブーム」のようになっていた給食費未納問題で、
当時、子どもたちのいた小学校のPTA役員たちから「給食費未納者を見つけよう!」の流れが出来て驚かされた。
私の周囲では、こんな関わり合いの密な地区で「犯人捜し」をする「危険」を考え、誰が払っていないか特定することには反対したが、
その「犯人捜し」にいちばん熱心になっているのが、3人の子供の給食費をおそらくは大きな負担に思いながら払っている家庭の主婦と知って
何も言えなくなってしまった。
長期にわたってPTA役員をすると、思わぬ他人のご家庭の状況を知ってしまうこともあって、
「専業主婦」の「肩書き」はあっても、その「ご主人」が帰ってこない、家にほとんどお金を入れない、
一人で様々なパートを掛け持ちして子どもたちを育てている、そういう経済的苦労をしている隣人がいるのも見てしまう。
そういう母親が「自分が払っていないと思われたらどうしよう」「自分が疑われたくない!」の一心で、「犯人捜し」をしているのがわかって、
結局は、どれほど有志が探っても、誰が「犯人」なのか、はっきりしたところはわからず、(学校側も決して情報は漏らさなかった)
事なきを得たわけだけれど、私は払わないのを責める人の弱さも理解したし、様々な親の対応に苦慮する学校の立場も知った。
例えば、私の子供が毎日、学校帰りにレジうちをしてやっと得たお金を授業料に回していたとして、
授業料未納の子供の存在を許せるか、と言えば「許せる」と、断言は出来ない。どうしても、ある種の割り切れなさを感じると思う。
ただ、子供のバイト先にまで「たかり」に来る親の存在を私は知っているので、「あきらめる」気はする。
未納問題は授業料にしろ、給食費にしろ、本当に悩ましく、
何が悪いかと言えば「みんなビンボが悪いンや」で、それでも本当に「貧乏」な人を責めるわけにもいかない。
また、一生懸命払っている人に「あなたはえらい」と示すのも必要なことだと私には思われる。
小中学校では、困っている子供の家の事情に気がついたPTA役員があれこれ学校に働きかけたりしているのだけれど、
高校に入ればそういう「地域」とのつながりはどうしても薄らぐ、生徒と学校をつなぐ「何か」が高校のPTAでは補いきれないようだ。
卒業証書に関して学校のしたことは、確かに許し難い。私もそのやり方を決して肯定するものではない。
学校は「建前」であっても神聖なる「学舎」だ、「授業料の領収書」代わりの「卒業証書」に意味はない。「買える」ものではないはずだから。
それでも「未納問題」に関して、ひとつの意見を「絶対に許されざるもの」として攻撃しているのを見ると、全面的に賛同は出来ない。
払わずにすめば楽だと考える、と言って、補助を受けられるラインにいるわけでもない、(あと一歩たりないくらいじゃないかと思う。)
だから必死で払い続ける人の痛みを思うと、どこかで何かが間違っている、と言う気がする。
だらだら長くなったけれど、地元のご近所公立校に小、中、高、と通わせていると見ているものが全く違うのだとわかった。
私は、安易に今、何がなんでもこれが正しいと主張して、一方的に相手を攻撃している人が、今後どのように子供を育てるのか興味深く思う。
皮肉ではない。多分、ある「傾向」が理解できると考えている。