「バカ親」でどーも、すみません。

最近「バカ親を叩け!」的なエントリが多くてうんざりする。
こんにゃくゼリーの保護者が起こした訴訟問題とか、授業料滞納のため卒業証書を渡さない学校の話とか、
学校側の対応がまずいのはよくわかっているが、そのまずさを知っている人間が滞納親を「バカ親」扱いしているのにはうんざりする。
「バカ親」、「バカ親」、ってかんたんに言うが、本当の「バカ親」にあったことがあるか?
私は母親になって16年たつが、本物の「バカ親」ってのには実はまだ出会ったことがない。
確かに「とんでも親」とでも言うべき人間には少数だけれど、会ったことはある、私はネットでよく「バカ親」扱いされるが、こんなもんじゃないよ、
私が「バカ親」に見える人間は、よほどの「世間知らず」、「本物」をなめんなよ、と言ってやりたくなる。
それはともかく、そういう「とんでも親」でも、つきあってみれば、どれほどの不安を自分では気がつかずに抱え込んでいるかだんだんとわかってくる、
誰の理解も得られずにもだえ苦しむ「人間」が見えてくるんだよ、振り上げた拳の下ろしどころを教えてくれ!と叫びたくなる。
だから私はネットなんかをやっているわけだけれど。
そりゃあ「バカ親」を晒しだして、血祭りに上げるのは気持ちがよかろう、特に「ネット」だし、「言葉だけ」の話だ、「悪気はない」ですませられる。
でも子供を亡くした人間に向かって「同情の余地はない」って?それ、人間が人間に言う言葉か。
「子供がかわいそう」とは絶対の言葉だが、それで他人を叩いてよくなるのは叩いている側の人間の「気分」だけ、何も変わらない、
残るのは「正義」という言葉で食いちぎられた「親子」関係、なんと惨憺たる有様か、そして「正義」はまた、別の獲物の所へ行くんだね。
子供を持つ人が「バカ親」に会いたければ、鏡をのぞくといいよ、私も時々、鏡をのぞいて、「やあ、バカ親、今日も元気か」ってやってる。
でも自分を叩いても仕方がないしね、「バカ親」でも「バカ親」なりに何とかやってる、他の「バカ親」共々。
「生きる」って、「育てる」って、似たような誰かを引きちぎることではないよ、その存在を殲滅することでもない。
「バカ親」とでも共に生きていかなければいけない、それが自分の子供のためでも、相手の子供のためでもあるんだから。
なんだか、まとまらないが、あまりに酷いエントリをよく見かけるんで、本当にがっくり来ている。
それから、誰かを徹底的に「つぶす」ためにだけ書かれるエントリは、どれほど「にゃーにゃー」泣いてみたところで、ちっとも笑えない。
卒業証書問題については、また明日にでも、高校生保護者の見方を書いておく。
世間知らずの親が他人を簡単に「バカ親」あつかいするんだな、子供が小さければ無理もないものか、長いつきあいがまだないんだものな、、、