保留、色々。

人気の「小町」をチラッと読んでブクマして、あとでそのレスポンスをゆっくり読んで、ぎょぎょ。
内容は小学2年生の子どもがなかなか親の言うことを聞かない、ときに「ウソをつく」で悩んでいる真面目なお母さんの相談で
すんでしまえばたわいもない、とはいうものの当事者としては真剣な問題で、これは根気よく、良くないことは良くない、
でも子どもはまだまだ子ども、そう言う目で見守っていくしかない話だけれど、
私が驚いたのは「精神科のカウンセリング」とか「ADHDの疑いが」とか、素人判断で口に出すようなことじゃないでしょ、な意見もあったこと。
子育てに必死に取り組んでいる母親に、もちろん答える方も大まじめなんだろうけど、専門家でも慎重な話を持ち出すことはないんじゃないか、
小2と言えばこの世に産まれてまだ10年経ってないんだし、「ウソ」が「ウソ」であることも曖昧、
子どもが子どもに「ウソつき」と言われたところでその言った方も大人が思うほど「ウソ」の意味をよくわかってない、
ただ、漠然とお友達が気を害したようだからお菓子でも一緒に食べてご機嫌を取ろうと思いついた、と言うのも
お金を持ち出した件に関してはあり得る話、「虚言癖」だの「カウンセリング」の出番じゃないでしょうに。
母親は、気にし始めれば何もかもが悪い方に見えてしまう、子どもが大事だから。
「助けて」と声を上げているお母さんには私はまず「大丈夫」と言ってあげたい、あまりにも今は「母親」だけに子供の責任がかかりすぎてるから。
小学2年生と言えば多少生意気に見え始めたりして、馬鹿にしてるんじゃないの?なんて思ってしまうところもある。
わが子達のことを振り返れば上の子も下の子もウソを思いつくほど頭が回るわけではないけれど、
下の子は何かしたいとなるともう他が見えない、やっちゃったあとにそれを隠そうと画策する、そして私はかなり後になってその隠し事に気がつく、
その時は隠した本人も何を隠したかとんと忘れていて、怒っていいのか悪いのか、まあ、やはり「これは、、」と思うときは「喝!」を入れた。
具体的にはお姉ちゃんの大事なものや私の化粧品を勝手に持って行って遊んで、返し損ねておかしな所につっこんだ、程度で、
隠された方がすぐに気がつかないのも悪いか、親子で忘れっぽいなと今は思う。
失敗を繰り返して子どもはだんだんいろんなことを憶えていくし、親だって叱ることで子供の「呼吸」みたいなものを肌で感じ取る、
これは怒らない方がいいのかも、とか、やはり怒っておけば良かったとか、やってみなければ本当にわからないことだらけ。
親子を受け止める「呼吸」も社会は持つべきなのだけれどそれが今の世の中全くないようだ。
わたしは子どもを育てている親が例え何をしていても責めない方がいいと考えていて、
何故かというと「親」としては新米であっても年齢的には「大人」であるはずの人を子どものことで頭ごなしにしかりとばすのは
それをする人も「大人」としてどうかしてるんじゃないか、まるで親をその子どもを「武器」にして切り刻んでいるようで、
それじゃ「親子」は社会の中で育たない、「子どもを守れ!」を楯に親子を引き裂いている。
単なる「鬱憤晴らし」でか弱い親子関係を無茶苦茶にしているだけ。
私は年下の知り合いから育児相談を受けたとき、決してその知り合いを責めない。
困ったな、と思うことを言ってもとにかく100%言い分を受け入れる。
話すことで人は自分を整理できるから、それで落ち着いて育児も少しは楽に出来るようになる、と言ってまた同じ失敗を重ねるけど。
育児で必要なのは母親の話し相手だと私は思う。特に今の状況では。私もずっと年上の知り合いの方に助けられている。
そんな「つながり」が今、とても少なくなってしまったね。
母親の在り方も画一的なものが求められていて、じゃあ人間は規格品しか必要ないのか、とか思ってしまうんだよなあ。
「小町」かあさんはいいお母さんだと私は思った。世の中のお母さんはたいてい本当にいいお母さん達だ。
犯罪発生率は実は低くなっているのに妙に犯罪がメディアで目立つのと同じように、
おかしな母親とされる人間もネットには多いけど、本当はそうでもない。ネット意見は変なの多いよ。
いちばん問題なのは決して「助けて」が言えない人、これは極限まで追い詰められるんじゃないか、親子共々。
長くなったんで、他の保留話はまた今度。
大野先生からおそれおおくももったいなくも、ブコメに反応をいただく。
先生の記事にも元の新聞記事にも漠然と違和感を憶えたのだけどその「何か」がわからないのでこれも保留。
ところで実家母が首をひねってうんうんうなる。介護生活始まりか?