雑談。

「金麦妻」とは、よくよく考えてみたら「お母さん」なんだと書いた後で気がつく。「いつまでも待ってくれる存在」って、マザコンだなあ、制作者は。
自分の子どもには「お母ちゃん」しても、旦那の「母ちゃん」にはなれませんな、血のつながりないし。
少し前に、里親が子どもを虐待したのニュースを朝日新聞で読んで、子どもを育てた経験のない人が「里親」になれるんだー!と、そちらに驚いた。
「里親」になれるのは、子育て経験のある、年配の人間だと思いこんでいたよ。
件の人の「子どもと一緒に成長していけるかも」の発想がなあ、、、
確かに育児で成長する部分はあるけど、それは多分、子どものいない人が思うような「成長」ではないと思う、
ここらへんが、子供を持つ人、持たない人の違いなんだろうな、「言葉」を文字通り受け取らない方がいいんだよな、
だから私のような「母親」の存在が「許せない!」と思う人が出てくる、特に「言葉」あふれる「ネット」の世界では。
ま、子供を持っている人でも「私」みたいな母親には「なりたくなーい」と考える人はざらにいるだろうが。
人間の多様性を、理解しないまでも受け入れる、それすら出来ない人が、子どもの「親」になっても、いるんだよな。
結局は「自分」に自信がないから、他人のことが気になってしょうがない、違う考え方を否定することでしか「自分」を確立できない、
しかし、この傾向は子どもが大きくなるにつれ変わるかもしれなくて、それを「成長」と呼ぶのかもしれないが、
同じ年の子供を持っていても、よくまあ、こんな子供っぽいことを考えてられるな、の人はたまにいるしな。「成長」もまた「個人差」がある。
問題になった「里親」は子どものなにが受け入れがたかったのか。
そもそも、「大人」だから、「親」が「出来る」とは限らない、それは自分の子供を持っても、そうだろう。
複雑な自分自身を抱えて、そこから脱するのに「子育て」が「治療の一貫」とでも思いこんだか。
ネットで産経ニュースが、また必要のない子どもの被害状況までなにげに書いていて、いやはや、この下世話ッぷり、さすが産経、
本当かどうか、わからないけれど、その虐待の仕方を思えば、どこかで「性」に関して狂った感覚があったんじゃないか、
そういう人でも「里親」かぁ、、やむを得ない事情で子どもを預けなければならない人にとっては、恐ろしいニュースだったろうな。
とはいうものの、若くても、きちんと「里親」が出来る人の必ずいるだろうから(むしろその方が多いだろう)
「里親」制度がもっと良くなるきっかけになって欲しい。小さな子供のからだと心が一日も早く癒されるのを祈る。
この事件に関して、色々思ったことがあるが、時間がないので、保留。
出かけるので、明日の日記はお休み。(多分)