雑談。

ちょっと前の増田かあさん記事を読む。
幸いにして、我が子は盗られる経験はあっても、盗った経験はないけれど、
もし、あったとしたら、私も増田かあさんとそれほどかわらない対応をしただろうな、そういうものなんだよ、自分の子どもを育てるとは。
この記事に触発されたらしい徳保さんの書いたものを興味深く拝見して、この方のご両親は見方によってはこわいけれど、
親の愛情を信じている子どもであれば、ちゃんと育つってことなんだろう。
親が愛情をどのように示すか、それを子どもがどう受け止めるか、個々に違うことを、子供を持たない人は理解しきれないようだ。
やたらと自分の経験を押しつけるブクマが多くて、自分と増田かあさんの子どもとは「違う」がわかっていない、
舞い上がっている増田かあさん以上にとんちんかんな意見は、少々見苦しかった。
こういうのを見ていると、ネットによくある、何でも「母親が悪い」病はどうにかならないもんか、としみじみ思う。
ジェンダー的にもよくない傾向だと思うな、母親だけが子どものことで責められるのは。父親が不在でも許されるのは何故かしら?
そんな現実が真面目な増田かあさんを追い詰めてるわ、
これは、離婚した増田かあさんだけの問題じゃない、ほとんど一人で育児しなきゃいけないことの多い母親全体の問題だ。
増田かあさんの子どもへの愛情はひしひしと、混乱する言葉の中でも私には信じられた、お子さんにも伝わってると私はわかる。
だから「大丈夫」と増田かあさんをなだめてあげたい。
ゲームに夢中になる程度の年齢にやってしまったことが大人になっても引きずることはあまりない、と
現実世界の育児の先輩が教えてあげるべきなんだな。
しかしこれに限らず、賢しらげに「娘に対する母親の支配が、、、」なんて繰り返す意見を見ると、頭が痛くなる。
私も、「母親の呪縛」、「娘への母親の支配」とこれから書いてみようかな、
わー、すごーい、賢い人になったみたーい!なんか、それで「全て終了ー」みたいな感じー、もう「私、議論に勝ちました」みたいな?
これだけ、なにも考えていない馬鹿げた言葉ってないな、それでも、人によっては「決めぜりふ」なんだよね、「何とかの一つ覚え」ってやつ。
うんざりする。
そうそう、子どもは親なんかに「支配」されませんって、あの手、この手で、親の手からつるりと逃げるのが、子どもという無敵の存在、
子どもをもたないある種の人は、子どもをあまりに無力視しているんだよね、子どもをバカにしてる、
赤ん坊だって、そう無力ではないんだよね、あんなに小さな体から、あれだけ大きな声が出せるってすごいよ、
赤ん坊は有無を言わせぬ「力」をもっている、本当に子どもは素晴らしい。
その存在を自分に都合のいい弱者にしか見られない人間の意見はくだらない。「子どもを考える」が本当はどういうことかわからないんだろうな。
明日の選挙でも「子育て」が大きく持ち上げられていて、はて、どのような審判が下るのやら。
もっと気軽に子どもを育てられる社会になって欲しいものだな。