風邪をひいていますが、一言。(より多い)

季節外れの風邪をひく、とほほ。(ほんまに風邪か?)
件の増田は続編があるそうで、どうにも中途半端な人のようなので読んでいないがあの増田記事に心を痛めた人がいたようで、哀しい。
「子どもがかわいそう」というのは、子どものいる人間が言ってはいけないことなんだよね、本当に「子ども」のことを知っているのなら。
増田はまだまだ、出産後に多量に出るという脳内物質が異常発生していて、ちょっと精神の安定を欠いてるんじゃないのかな、
子どものことを知っていれば安易に「子どもがかわいそう」なんて言えないんだよね、
自分のところだって「母親しか相手をしてあげられないなんて、子どもがかわいそう」と言われるおそれもあるしね、
保育園に通っている子どもよりは、絶対的に他人との接触が少ない、刺激もない、それが子どもの将来の「社交性」に影響するかもよ。
って、それは本当はわからないんだよね、一人の保育者に育てられた方がいい子供も多分いるし、大勢と交わった方がいい子どももいるし。
でも、私は子どもは大勢が手をかけた方がいいと思っている、これは転勤先でたった一人で子どもを育てなければいけなかった私の実感。
もちろん、今の子どもの出来が悪い、と言ってるのではなく、赤ん坊当時、やはり人見知りが激しかったこと、これはちょっと損だった気がする。
一人で責任を担うのは私自身の精神衛生上よくなかった、と言って、他のこと「比べられる」恐怖から逃げられたかな?とも思うけど。
要は、考えよう、「一人」の人間に「ふたつ」の時間は存在しない、同時に違う経験は出来ない。
どちらにもいいことはある、と同時に悪いところもある、こちらだけが「絶対!」なんてことはない、そんなもの、ある「はず」がない。
私が育児の「師」と仰ぐ人の中に小児科医の細谷亮太さんと恵泉女学園大学大学院教授の大日向雅美さんがいる。
特に最近、心から納得している大日向さんの考えは、何度もエッセイなどで説かれている「子どもには自ら育つ力がある」と言う主張。
「子どもがかわいそう」と言われて「イラッ」と来るのは、これは子どもを全く無力な「被害者」としかみていない点だと私は思う。
「子ども」は決して「無力」な存在ではない、常に育つために懸命に自分のその「力」を使っている、
その「力」を全く無視して、「かわいそうな子ども」に貶める、気に入らない相手を攻撃するために「子ども」までもを「バカ」にする、
その「自ら育つ力」を無視して、「かわいそう」なんて一言で「片付け」ようとする、腹が立つのは「当然」だ。
どこで育てられたとしても、子どもの「自ら育つ力」の「介添え」になれば、子どもにとって悪いはずはない、
「専業母」一人がそれを与えられる、と信じている増田がむしろ私には「かわいそう」に思える。子どもまで「かわいそう」とは思わないけど。
風邪ひきで、頭が動かないんで、とりあえず、今朝見せていただいた日記の感想はこの辺で。
2008年の「婦人之友」に「子育ての散歩道」というタイトルで細谷さんと大日向さんが育児エッセイをリレー執筆されている。
図書館にあれば是非借りて読んで欲しい、素晴らしい内容だ。くだらない狂信じみた育児伝説を読むよりは、ずっと精神衛生上いい。
「育児」は「母」が楽しくなければ、子どもにもよくない、
別の育児方法をしている人をむやみに攻撃する人が本当に育児を楽しめているかどうか、私は心配だなあ、、、