いろいろ。

行方不明の子どものいる家庭から大金をだまし取る事件に、これが犯罪被害者の置かれた状況なのか、と思った。
忘れられていく事件の当事者達がどれほどわらにもすがる思いでお金を支払い続けたのか、その気持ちがわかるだけにやるせない。
行方不明のあと長い間監禁されているところを見つかった事件もあったことだし、被害者家族としてはほんのかすかな望みであっても
それがお金で買えることであるのならばと、ずっと支払い続けたのだろう、どれほど子供の帰りを待ち続けていることか、それを思うと
犯人達には死ぬよりももっと辛い思いをさせてやりたいと心から願う。
しかしこのようなことを考えつく人間のことだから生きていることそのものが本人達にとっては罰であるのかもしれない。
一体、どのような気持ちで行方不明者家族にたかっていたのか、なんの苦痛も憶えていなかったのだろうと思う。
そのような感受性さえも持っていない、「騙される方が悪い」と、
自分がいかに「賢く」立ち回っているか、そのような自己愛だけが肥大していたのではないか、
今朝の新聞では相当金に困っていて知り合いに数千円でもいいから貸してくれなどと、
派手に使いまくっていたのが周りにわかっている人間に貸した人間はいるのだろうか?いたのかもしれないな、
その「やさしさ」がいいことか悪いことか。その「やさしさ」がどうしようもない人間を増長させるような、
しかしそのやさしさこそが「人間らしさ」でもあるのだからなあ。
実家の近所に以前、疑われるほど羽振りよく振る舞っていた人がいて、儲かっているんだろう、と思っていたのだけれど、
結局「夜逃げ」をしてしまって、その前に実家に借金の取り立て人の人たちがその人達の様子をうかがいに来たりして困ったことがある。
取り立てる方も相当たちが悪かったが、そういう人が出入りする前から、その人達は実家に妙なものを高額で売りつけに来たりして
母から話を聞いてうんざりした。
明らかに実家の両親を騙しにかかっていて、その辺で3000円程度で売っているものを数万円で売りつけようとしたり
(実際、5万円程度のものに30万も払っていた)、子供の立場として親の金遣いに口を出すのもどうかと思われたので黙っていたのだけれど、
あまりにひどい「詐欺」のような手口に腹を立てたりもした。両親としては相手が「困っている」と気の毒でならなかったのだろうが。
自己破産が成立するたった二日前に実家に金を借りに来て、そう裕福ではない実家が断ると全く事実無根のことを周りに言いふらして、
とは言っても、言いふらしたご近所にも金を借りに行って断られたりしているので、誰にも相手にされなくて、
近所一帯にはよくそんなことをして生きていられるな、と侮蔑よりも悲しい諦観があとに残った。
近所の話を寄せ集めるとお金のことでいちばんよく世話をしたのが我が実家で、それでくだらない罵詈雑言を浴びせられたりして、
自己破産が出来ることを知った上で世話をした人間に金を借りに来るような人間がしでかしたことで傷つくことはないのに、傷ついたりしている。
借金を申し込んだ相手はどこまでも人間をなめてかかっていたのだろう、なめているのは自分自身の人生であるのも気がつかずに。
「没義道」だとか「餓鬼」だとか、そういう言葉が浮かぶ事象が多々あって、それでも人間は生きていく。
そのご近所の人が何故「自己破産」をしたかというと、商売がうまくいかなかったのではなく、単に収入以上の生活をしていたとのこと、
世の中には贅沢するためだけに借金を重ねる人もいると、そんな人ばかりではないだけにこういう人間はどうにかするべきだな。
その人の自己破産で困った人は他にたくさんいたらしい。それを思えばまだ良かった、と両親は言うのだけれど。
生きていても無駄な人を生かしておくことがその人への最大の罰だと最近思う。
そして、その存在を忘れてしまうことだ、私と違って心やさしい両親にそのことを忘れさせなければいけないな、、
年をとって「子ども」をやるのもそれなりに大変だったりして。