つられてます。

発狂小町さんならどんなまとめ方をするのかなー、な発言小町を読む。
「美人の母が娘の将来を憂う」だけれども、本当にこの人美人?と思ってしまった。
だって40過ぎても、もし「美人」に見られるのであれば「美」なんて「見せ方」ってよく知っているでしょうに。
ある程度以上の年齢になれば「きれいに見られる」は「技術力」ですよ。(注;「美容整形」のことではありません)
まあ、20代、個人差もあるだろうが30代半ばぐらいまでは「何もしないでもきれい」はそこそこ有効だ。
(それでもたいていの「美人」はそれなりに「努力」していると思うが)
しかし35を過ぎたあたりから人に快く「見せよう」と思えば相当「頭」を使わないと難しい、
やはり加齢現象は侮れないですよ、微妙に今まで似合っていた服や化粧法が「違う」になってくるもの。
その微妙さを見逃さない、というか目を背けない、目を背けたとたん、単に「流行遅れ」な「痛いおばさん」になるものね。
といって、「若い」服をいくら「サイズが合う」と着るのももっと痛い、無理目な若作りは悲しすぎる。
「あ、これは終わった」と自分で扉をしめるようにしないと、いつまでもしまったままの扉にしがみついているようでは、
決して他人に「きれい」とは思ってもらえない、
やはり少しはきれいに見られたい、が「あがき」であるのだから、それ以上のあがきは見苦しい。
年齢と自分自身に応じた「技術力」を常に磨かねば。
いやー「容色が衰える」とはこーゆーことだなー、と37〜8ぐらいからしみじみ思うようになっちゃったよ、
まず「顔色」が違う、若い子のほんのり桜色の肌なんてのはもう戻ってこない、肌の「質感」も徐々に変わるしね。
30代と40代では皮膚の厚さが違う気がする、40過ぎてから皮膚が薄くなってきたような、
それに「ゆるんできてるなー」という感じ、年を取るって容赦ない、いやはや。
発狂小町、、じゃなかった、発言小町の「ははおや」に話を戻せば、この人が今現在も「美人」であるかどうかは謎だなあ、
40過ぎて「お若いですね」をほめ言葉のように思ってるようじゃ、ちょっと「痛い」系かな、と。
誰にでも言うんだよ、その程度のことは。
やはり「いつまでもおきれいですぅー」と「若い子」に「言わせ」なければ、「脅して」でも。これもまた「技術力」、わはは。
この話が本当なんだったら、「ははおや」の方はお嬢さんがいることに感謝しなければ。
娘は情け容赦なくははおやに年齢を突きつけてくるからね、
「ママ、それはもっと若い人が着る服だと思う」って、娘よ、ナイスつっこみありがとう、
年々、くもってくる母親の「頭」と「目」のかわりになってくるんだよな、腹は立つけど、本当のことだし。
「女」は「技術」、それをお嬢さんに教えられないのなら「美人」なんてのは自分の単なる思いこみかもしれませんよ、
私のように若かりし頃、2〜3回「○田○美」(さすがに自粛)に似ていると言われたことを永遠に呪文のように唱えているおばはんみたいなもん、
そして娘に「ママ、それはもう何百回も聞いた」と言われて、「あと数千回は聞きなさーい!」と戦うのよ、ああ、親子。
私には「釣り」っぽい記事だなあと思えたけれど、己に「喝!」を入れるために一応書いておく。
「見られる」は「技術」!厳しく自分を戒めよう、最近「たるんでる」んで。