雑談。

ネットで読んでいる先の人に「子どもが出来た!」とか「生まれた!」とか見るとつくづくうらやましくなる。
うちは、子どもたちが巣立つときが見えてきてるんで。(涙)
上の子が3歳くらいの時にダーリンが、「(上の子の名前)ちゃんとはもう20年も一緒にいられない!」と涙ぐんだことがあった。
私はその時まだ20代で、転勤先で、下の子も生まれたばかりで、ぐちゃぐちゃだったんで「何をのんきなことをぉー!」と
腹が立ったんだけれども、今、あのときのダーリンの気持ちがわかったりして。(ごめんね、ダーリン)
私たち夫婦は子どもたちは18歳で家から「出す」と決めているので、上の子の場合、あと2年と少し、本当「カウントダウン」が始まっている。
親元離れて一人で暮らしていけるのかな、なんにも教えてこれていないんじゃないか、と今更焦りまくりだ。
「子どもは3歳までに全ての親孝行をすませる」とも聞いていて、なるほど、と思ったり。
何かの瞬間に思い出すのはいつでも、弱々しくただ私だけを求めてきた赤ん坊時代の子どもたちの姿だものね、
「子離れできない親たち」って言うのはわかるわぁ、、
本当のことを言うと、私は子どもたちに何も教えられていないんだと思う、
子どもを「育てる」って「教える」ことではなく、ただ共に「生きる」こと、その中で「自分自身」が洗い出されてくる。
その自分自身とどう向き合うか、私はいつでも問われてきていた、
そして、出来る限り答えてきたつもりだけれども、その答えがそれで良かったかどうか、今でもずっと悩む。
ま、現在進行形でまだまだ悩めることを書こうとしてもまとまらないので、
最近、育児のいわばひとつの「ゴール」を迎えつつある私がやっているのはただひたすら「おいしいものを食べさせること」、
もう、それしかできない、というか、それをするのが唯一の目に見えた私の「仕事」と言うべきか。
これはこれで「努力」を要することであるので、たっぷり「自己満足」入りでやってる。
子どもを育てるって、決して簡単ではないけれど、それほど難しいことでもない。
「育てる」って「体を動かす」ことです。ひたすらにまず、おしめを替えまくってください、だっこしまくってください、
ただ、目先目先で片付けなければいけないことをやりまくるのです、
それが実は本当に幸せなことだと15年以上経ってやっとわかったりするのです。
いいなあ、赤ちゃん、、いや、今からでも「産め」とか言われたりしてるんですが。
現在私の住んでいるところに産婦人科は「皆無」です。老健施設は山ほどあるのになあ、、