教育雑談。

先日、高1の娘の学校で1〜2年生保護者向けの進学説明会があって友達と出席して、
現在3年生を抱える進学指導科の先生の悲痛な叫びは「とにかく早く進路を決めさせて、勉強させてください」で
どうも「親が子どもに進路を決めろ」のご主張、友達がぼそっと
「そんな、40過ぎて自分が選んだ進路そのものも良かったか悪かったか判断できないのに、子どものことまで決められるか」
って、そうよねー、本当その通りよ、だから地元進学校に頼ってるんじゃないかと手を取り合ったり。
学校の先生は情報に振り回されることなく将来設計をきちんと立てて、進学のためには勉強しないといけない、と、
まあ、当たり前のことをおっしゃっているんだけれど、
そもそも、その「勉強」の必要性を、一部かもしれないが公立中学では教えませんよ、
これの「つけ」が進学校に進む子ども、そしてその学校に回されてるってわけで。
中学で全く教えられていないような部分が当たり前の顔をして難しげに並べ立てられたりして、その詳細はまた後日にでも残しておくことにして、
最近大人気な橋下知事の「体罰」発言の中で「今の子どもには夢がない」は、本当にその通りだな、と思った、
確かに特に地元底辺中学では「夢」が持てない。
「夢」などを持とうものならすぐ足を引っ張られると言おうか、とにかく目先のことしか見えていない。
その目先とは何かといえば自分が安易に「敵」と判断した対象でそれを叩ければ当面の「充実感」が得られる。
これは多分「大人」のやってることのまねでもあったんだろうな、社会の雰囲気と学校は必ずつながっている。
「勉強なんかしてなんになる?」の虚無が上の子が中学の頃にはあった、
だから成績のいい人間なんて「理解不能」の「叩いてもいい奴」になる、
そういう連中をふりほどきながら勉強してきてそもそも「勉強」に目的が持てたかどうか、
今、上の子が通う進学校に入ることだけがうちの中学出身者の「目的」と言えば目的だったんだよな、
結局「目先」のことしか見えていない、その先が見える「環境」になかったことは本当に悲しいことだ。
進学校」に通うというのはほぼ確実に大学進学することであって、そのための「受験勉強」は早いうちに取りかかるに越したことはない、
公立中学では相当のハンデが課されていてそれを埋め合わせるためにも「とにかく勉強してくれー!」が現場の先生の悲鳴だけど
はて、親としてどうすればいいものか、本当に親が目的を決めさせていいのかどうか。
「子どもは夢なんか適当に拾ってくるものだと思ってたよ」と友達、談。
でもその「夢」がその辺に落ちていない時代に生まれてきてるんだよね、それは大人の責任でもあるな。
とはいうものの、「結婚して子どもも欲しい」と言ってくれてるんだから、
こんなそういうことに対する否定的な意見があふれかえる世の中で、それもまた「夢」を持っている、と考えておこうかな。
公立校の抱える今の課題や現実がとほほというくらい見えてくるよ、見えてきてもどうしたらいいのか、
やはり応急処置的対処しかできないんだよな、個人では。それを考えたら先生の「親が目的を決めてください」も正しい気がしてきた。
やれやれ。