たべものばなし。

宮崎駿の「食」表現について面白い考察を読んだ。
「シンプル」と言うのはすごいよなー、今、「料理」の世界でも「シンプル」な組み合わせ、
例えば野菜一品だけをただ「焼く」あるいは「蒸す」、味付けは「塩のみ」とか、
要は単純でもっとも難しいやり方に回帰していると言っていいのだよね。ものの「あるべき」姿は「シンプル」ってことかも。
思い返せば、本当に宮崎駿氏は「食」の表現がうまい。「食」の延長線上にある「何か」を示すのがうまい、と言うべきか。
紅の豚」の中では女たちの料理を作る「手」が、ポルコの飛行艇を組み立てていく、
「食」を求めるために「職」があるを表す、何とも鮮やかだと感心した。
最近見直してみた「ハウル」でも厚切りのベーコンがまた「うまそう!」って感じで、(「おいしそう」とはちょっとちがう)
ハウルは卵を一人に二つづつ食べさせる人なんだな、と言うのが私的にはよかった。
「目玉焼き」は二つあって初めて「人間」の「目玉」になるんだよ、ひとつだけじゃゲゲゲの鬼太郎の「目玉親父」だ。(あれは妖怪)
ハウルが「魔法使い」であると同時に「人」でもあることを感じさせて親しみを憶えた。(私だけか?)
読ませてもらったところのトラックバック先で「トムとジェリー」の「食」世界も紹介されていて、これも面白かった。
あこがれたなあ、「トムとジェリー」の中に出てくる「冷蔵庫」の中、
「骨付き肉」というものが、現在40代初めの私の子供時代、それほど一般的ではなかったので、
あの「どん」と置かれた、骨のつきでた「肉」(ハムか?)のかたまりはいかにも「アメリカ的」に見えた。
それを二口、三口で歯をむき出して食べるトム(またはブルドッグ)が嫌らしいまでに「うまそー!」を出していて、
「文化の差」といおうか、子供の頃、お行儀の面からして「許されざること」にうつったけれど、それがまた魅力だった。
宮崎氏のインタビューで取り上げられていた「ゼリー」のことも
確か、ジェリーが冷蔵庫の冷凍機能を使ってスケートリンクを作る話の中で、冷蔵庫の中にあった色とりどりの「ゼリー」が
華やかな「ライト」代わりに使われてその文字通りの「豊かさ」(と言っていいか?)には感激した。
考えてみれば私が先日書いた「葡萄三色盛り」もこういう幼児期のアニメのきらびやかさに影響されてるんだろうな。
それが冷蔵庫の中にあると「気が晴れる」んだもの、幼児体験、恐るべし!(違う)
アメリカ的な「食」と言えば「ブロンディ」の中でダグウッドが食べるサンドイッチや、ポークビーンズ
「ポパイ」の缶詰のほうれん草やウインピーの食べるハンバーガー、
缶詰めほうれん草はイングランドで食べて、そのまずさになるほどアニメで「啓蒙」しないと子供は食べたがらないよな、とよくわかった。
犯罪的に「まずい」よ、あれは。
ひとつのエントリから思い出すこと色々、こういうことを書いてくれる人っていいなあ、久々にネットでいいもの読んだ、って気になった。
「食欲の秋」、しばらく食べ物のことばかり書いてみよう。