雑記。

赤ちゃんはお父さんそっくりのオッさん顔でもかわゆい。
昨日会った奥様方から幼稚園、小学校の運動会両方に行かなきゃ、の話を聞いて、それもいずれ終わるのよー、と不吉な予言者のごとく振る舞う。
子供たち二人の入学から上の子の海外研修など、春からばたばたして最近になってやっと落ち着いたんで疲れが出たか。
そのうち年上の奥様に「何を言ってるの、これから親の介護、子供の大学、結婚、とまだまだこれからよ」と「カツ」を入れられるんだな、
私の周りには他人はねじを巻くために存在する、と思っている人が多い。
「食育」に関して強烈な小冊子を紹介されているところをわはは、と読んで、こんなことで驚いているようじゃ、ド素人ですよ、
とかく「専業主婦」はバカにされてるんですよ、あれで「洗脳」出来ると思われてるからな。
でも本当に「洗脳」される人がいるのも事実、何がそうさせるのか、ま、色々あるんですけど。
文章を「うまく」書く、「知性がどうの」が話題になっていて、
「知性」が「見せびらかす」もののように思われているのは確かにネットのせいなのかもしれないな、
この手の「ライフハック」(??)が人気を集めるのもある種の人に、何者かに「見られたい」が切実な要求としてあるんだろう、
「見られ」さえすれば本質的にはどうでもいいのか、
「知性」的で「ありたい」と思わないのは添う「なる」可能性を自分の中に見いだせないのか。
真実がどう「ある」のかは別として知性的に「見られる」ことにどれほどの意味があるのか、「見られる」ことはそんなに重要か。
「ない」ものを「ある」ように「見せ」たってねえ、、、そんなことしても現実の人間関係はうまくいきませんわな。
ネット上で「何者」(=知性派?)かに「見られたい」ためにはどんなことでもする、「粘着」、あるいは「罵倒」でも。
知性は本当に「安く」「見られて」いるのだなあ、、、それでも「知性」の本質に変わりはないのだけれど。
「知性派」に「見られる」ことで「自己実現」か、あるいは「もう一人の本当の私」を不特定多数の中の誰かに「発見」されたいのか。
よくわからんな。
小泉元首相が臆面もなく「世襲」を行うと、いっそ、選挙なんかやめたらいいのに。
政治家の子供が政治家になって何が悪い、と言うことですかねえ、、