ギィ・ドゥリール著 檜垣嗣子訳 「平壌」を読んだ。

「マンガ平壌 あるアニメーターの北朝鮮出張日記」を読んで衝撃を受ける。
やはりすごい国だなあ、強烈だ、「徹底」の果てとはこういうことなんだろう、いやはや、まいった。
この本はケベック生まれの元アニメーター、現在は漫画家の方が書かれている
フランス語圏のカナダ人だからこれも原文はフランス語なんだろう。
ダーリンがフランスのマンガ事情を少々かじっていて「そもそも「バンドデシネ」が、、」と言い出すのは無視しているが、
私もこういうスタイルのマンガを読むのになれてきたなあ、マルジャン・サトラピの本にしろ。
本の持つ独特の暗さがサトラピの祖国イランを描いた「ペルセポリス」を思わせた。(「独善」国家はどこも同じと言うことか?)
平壌」を読んでいると、ヨーロッパのアニメ事情が伺えるのも面白い、
子供の頃楽しみに見ていた「キャプテンフューチャー」がフランスで放映されていると知って
先日「アルプスの少女ハイジ」がヨーロッパで愛されていることを知ったと同様に驚く。
「タンタン」が元々アニメだと思っているヨーロッパの子供達と言うのも感慨深い、「タンタン」は一時期、NHKで放映されていて見たな。
あちらのアニメーションは色彩がきれいだ、とか思っていたら、細かいところはやはり中国や北朝鮮に発注しているようで
技術がありながら世界に発信する北朝鮮産のアニメがないというのは抑圧からはなにも生まれない、と言うことか、
中国のアニメも、昔は上海が非常に優れたアニメ技術を持っていたと聞いたが、
先日読んだ「中国動漫新人類」によると衰退しているようだ。(これは、ダーリンに聞いた話だったかな?)
中国のアニメ事情はこの先どうなるんだろう。北朝鮮には未来はなさそうだけど。
しかし、細部にわたってまで個人を「拘束」しようとする国、たった2ヶ月でも我慢しがたい「異世界」に来た思いだったろう、
作者のギィ・ドゥリール氏はこの作品の内容から推すに温厚な人物のようだが、
あちらこちらに我慢しがたかった嘆きがちりばめられ、それがまた北朝鮮の現状を迫力を持って伝えてくる。
私は一生行きたくない国だ。
ただ、その思想が北朝鮮をネットで罵倒し尽くしている人たちのものと非常に似通っていて「同族嫌悪か?」と思える。そこがまたこわい。
特に印象に残った箇所は、
ピョンヤンの清潔な通りを何週間も歩いていて不思議に思うのは障害のある人が全くいないということ」(p138)
「もっと驚くのはそう言う人たちのことをたずねた僕に返ってきた答え、、」
『いないんですよ、、わが国の国民は極めて均質で誰もが強く賢く健康に生まれてくるんです』(彼付きの通訳の答え)
「声の調子から見て彼は本当にそう信じている」(p140)
ナチスの思想的と言おうか、ホロコーストは今でも存在するのだとはっきりと知った。
ネットでやたら「日本人は優れている!」と連呼して、自分たちの気に入らない意見を持つ人間を
「日本人じゃない!」と言いたがる人達と、北朝鮮思想はやはりどこかで似ている。
まあこれは、そんな相手を私も「日本人じゃない!」と言いたくなるからな、己の「北朝鮮的」部分を反省しよう。
切ないのが子供達を描いた部分、マスゲームなどで見るあの張り付いた笑顔は「訓練」のたまものらしい、
子供であっても、「優れて」いなければならない、と「教育」される、完全なる「監視社会」では。
そうせざるを得ない状況は「全てアメリカが悪い」で片付けてしまう、「本当にそれだけなのか?」と考える複雑さは拒否する、
拒否しなければ命はない、故に「可能性」も殺されてしまう、何とも切ない。
先日、日本にも滞在した北朝鮮の女性スパイが韓国で生活するうちに「ほだされた」のか、「転向した」のか、
それまで教育されたことを否定するに至ったのは、やはりどこかで人は「自由」でいたいと思ってるからなんだろうな。
今の自民党総裁候補が首相になって、その主張が実現されるようになったとき、日本が「北朝鮮」のようになるおそれはないのかな?
特に目立つ面々を見ていると不安になる。
日本のこの手の批判本を読んだことはないが(何となく書き手が感情的だろうな、と敬遠している)
この本は北朝鮮を知るのに優れた本だと思われる。おすすめです。
ところで本の内容とはなんの関係もないが、フランス語でダウン症児のことを「モンゴリアン」と言うのを知ってショックを受けた。
「人権」の国でしょうにって反応はかえって変か?。
連休中なのに子供の都合でお出かけできず。大きくなると親はどこにも行けなくなる、とほほ、、、、