「星」をもらって思ったこと。

「ホームレスと図書館」の話が長引いていて、変わったたとえ話を書いているところをついブクマした。
この人の書くものを読んでいて、ホームレスを襲う子供達のことを思い出してしまったんだよね。
「勉強しないと負け組になる」とか、一方的な価値観を大人に押しつけられて育った子供達が
自分が「排除」される恐怖から暴力に逃げて、「悪い」と教えられた、実際は弱い存在を抹消しようとする、
ああいう事件は大人の考え方に操られた子供が起こしてしまうんじゃないのかな。
「○○しないと○○になる!」なんて「脅迫」されて育つ子供は被害者だと思うわ。
「歯を磨かないとばいきんまんになる!」ってやっぱりなんか違うような、
「歯が痛くなっておいしく御飯が食べられなくなっちゃうね、だから磨こうね」と教えた方がいいんじゃない?
それに、「ばいきんまんは悪い奴だ」で納得する年頃の子供がたとえ虫歯になったとしても、
そんな幼い子の場合、歯磨きをしなかった「自己責任」ではなくて、ほぼ「親」の責任、
それをどこかでごまかそうとしているような、この人の考え方って「被害者」が「悪い」みたいで私には不愉快。
ま、「虫歯」になりやすい体質、なりにくい体質があるらしくて、
虫歯になるのは「虫歯ばい菌」を口の中に持ってるか持ってないかだ、の説も聞いたことがある。
そういうのも一種の「運」だよね。一生懸命歯磨きしていてもなるときはなってしまう、それを責められるのは気の毒だ。
「ホームレス」の人たちだって、なりたくてなったわけじゃない、
どうしようもなく運が悪くてそうならざるを得なかった人たちを、この弱小証券マンの人は「自由だ」をもちだして片付けようとする、
「何かが違う」と私には思えてしようがない。
「図書館とホームレス」問題は「現場の現実」と書く人も出てきたりして、
はー、なるほど、「図書館」はそこで働く人が生活するために存在する物でもあるんだなあ、
その利用者はそこで働く人の生活を支えるために必要なのか、ふーん、
まあ、世の中、「有権者」は「選挙」のために必要なんだもの、私たちの存在ってその程度なんだね、なんだか空しくなった。
今は社会全体に「余裕」がないんだろうな、誰かを「排除」しなければ生きていけない、存在が「脅かされる」と誰もが主張してる、
「排除」を歓迎する人は、自分が「排除」されることも当然受け入れるつもりなんだろう。
でも私は「排除」する側にもされる側にもなりたくない、「非現実的」とあざ笑われても、これだけはたしかなことだ。
私はこういう「食うか食われるか」みたいな、最低の「二者択一」みたいな考え方は嫌いだ。
子供にもそんなやり方で物事を教えたくない、誰かを安易に「排除」せずにやっていける方法を考える子になって欲しい。
うちの子が幼稚園時代、「ばいきんまんって頭がいいよね、いろんなことを思いつくもの」っていったんだよね、
「でも、勝てないんだよね、かわいそう」と、子供もよく見てるんだな、と思った。
なんだかなあ、「差別心」の裏側にある物ってなんだろう、やはり「排除」される恐怖かな。
情けない世の中だよなあ、、、