んががががが!!

と、忙しいときに限って腹を立てる。
すみませんが「子供」を概念化して「金がない人間は子供を作るな」とか言いたがる人はこの星から出てください。
子供作るのもやめてください、そういうことを考えつく遺伝子は早急に淘汰するべきです。(おおっ、優生思想!)
優生思想みたいに、「おれ、えらい、おまえ、馬鹿」と言いたがる輩に大人気な考え方は馬鹿臭いです、
大体「優生」の基準が曖昧じゃありませんかね、たとえば何を「美しい」と考えるか、民族によっても違うじゃないですか。
「役に立つものだけを残そう」なんてものすごく短期で決められる「基準」でしかないでしょうに、
ある時点で「必要ないもの」と判断されても時が経つにつれて、「それはやはり必要だった」とわかるときもあるしね。
お金がないから子供をまだ作れない、なんて人は本当は子供なんて欲しくないんですよ、
そういう「存在」じゃないですからね、子供って言うのは。
お金もある、環境も整った、でも子供が出来ない、で、不妊治療に駆け込む人を何人か知ってますが、
その場合、欲しいのは「継承者」であって生まれてくる未知の「人格」である子供「個体」ではないんですよ、
「自己満足」である場合が多いです、「完璧な存在である自分をさらに完璧な存在にする「道具」としての子供」、
そういう人の子供であっても、子供は子供として受け入れるべきだと私は思いますが。
少々親に難があっても、子供には問題がないことが多いです、環境は確かに大切なんですけど、
完全な環境で完全な人格が育つかって言うとそんなことはないですしね。
なんのために子供を持つか、育てるか、っていうと、この世界を愛しているからに決まってるじゃないですか。
この世界がずっと続いて欲しい、この不完全な、不寛容な、奇妙な世界であっても、空が青くて、山が緑だと
生きていれば楽しくもあり、悲しくもあり、そういう感触を自分以外の人間が持ち続けていて欲しい、
この星に酸素がある限り、呼吸する人がいて欲しい、と思うから子供を育てるんですよ、
それ以外に求めるものがありすぎるから、「子供を持つ資格」とか「責任」とか「コスト」とか考えつく。
やだやだ、そういう人に子供を持つ「資格」なんてありゃしませんよ、
そういう人は自分の子供の「友達」は「踏んでよし」的に考えつきますからね、
子供の友達までが自分の子供って考えなきゃいけないんです、親になったからには。
子供の居場所はどんどんなくなってきていて、
いつでも子供が親の管理下に置かれなくちゃいけないの考え方が圧倒的で、
だから子供は親から離れて、子供同士で身をすりあわせている時間がほとんどなくなってる、
それって、いいことか悪いことか、わかんないですね、私には。
ついこの間まで近所の男の子が大声で友達とここら辺で遊んでたんだけど、
その遊ぶ声が「うるさい」と文句を言われて、とうとう引っ越しちゃった、「なにかされたらこわい」とかで。
なんで子供の声が我慢できませんかね、確かにうるさいけど、夜中まで奇声を上げてるワケじゃないですよ、
夕方、塾に行くまでの時間、遊んでるだけだし、毎日でもなかったのに。
文句を言ってきたのは、自称「心の病」系のおっさんらしいです、そりゃー私も怖い、でも引っ越せない、賃貸じゃないし。
ちまちま家で遊ぶ女の子で良かった(違う)。
子供も育児者も肩身の狭いこの世の中で、これ以上親になる「資格」なんて問うていたら、人類なんて滅びますよ、
それでもいい、と言われたらまあ、そうなんでしょうが、私はいやです。
世界の色を、においを、感じ取る生命体が存在して欲しいです、自分の子供でなくても。
貧乏が失わせるものはたくさんありますがそういう無意識の希望まで奪ってもいいんですかね、
現実的な問題はたくさんありますが、私は貧乏人は子供を作るな、みたいに受け取れる言葉を発する人は嫌いです。
野良妊婦」問題は確かに深刻な課題ですが、「経済効果」で子供をとらえる人間は
どれほどの経済的な貢献をこの社会にしているのか、私はまだ確認したことがないんで、
「野良」さんと代わり映えしないんじゃないですか?どこかで何らかのマイナスはしてるでしょうよ、必ずね。
あーあ、子供をコストで考えたり、親になる「責務」なんて言い出したら、きりがない。
それで、あんたら、そんなに素晴らしいお子ちゃまでしたかね、ほんで、大人になって思いつくことがそれですか。
何が何だかわからんわ、世界に仲間を増やすのはいけないことですか、
それはつまり「奪い合う」数を減らしたい、ってことですか、「分け合う」ではなく。
なんて寂しい人たちなんでしょうなあ、、、、
あ、個人的な心の叫びですが、「喧嘩上等」で書いてます、いつものごとくに。