好きな話。(その3)

よく考えたら、世間は3連休だったかー!
明日はおじさんの百箇日法要で遠隔地にいるいとこ達がかえってくるのは何故かやっと思い当たる。
子供の面談やら参観やら、体内時計が異常気象で狂ってたのか、年末の手配が遅れていて
ばたばたしているので、休みの感覚がない。今朝も早からダーリンがいよいよ書庫のお片付けを
やってるんで、(ほほほ、ヤンジャンの100冊なんてかわいいことをいっちゃだめよ。)
きっと、夕方には真っ白に燃え尽きたダーリンを「立て、立つんだ、おたくー!」と励ますのよ、
なんであそこまでためるんですかね、お金はちっとも貯められないくせに。
こまめに「整理」すればいいのに、と、「整理」って「右のものを左にやって、左のものを右に回す」ってことで、
やはり「片付ける」とは違うような気がするな、「片付ける」はスペースにおけるものの「絶対量」を決めることと思う。
「絶対量」ではおかしいかな、その部屋に必要最小限度、かつ、「置ける量」って意味なんだけど
このスペースに対して絶対「無理!」ってのがあるでしょ、100ml入れに120mlは入らないもんね。
とかいいながら、私が好きな「片付けられない人」は常に「限界に挑戦!」って人が多い。
「今回はここまで我慢できた!」となんか楽しそうだよなあ、
やりがいを見出してないか?いっぱいためてためて、「片付ける」ことに。
そういうのって「片付けられない人」ではないんだよね、本当は。
私の直接の知り合いにはいないけど、やはり病的な状態の部屋や家の人っているものね、いわゆる「ごみ屋敷」とか。
我が家のリビングが「禅寺」といわれるのはなぜか実はもうわかっていて、まず天井が高くて、壁紙が白い、
ガラ−ンとしたスペースである上に、阪神大震災の教訓を胸に(直接の被害はなかったんですが)家具類を全部低くした、
これが天井とのバランスが取れない間延びした感覚を与えて、その上に、私は飾るのが下手、つか、
「まあ、これでも見とけば?」程度にしか物を置いてない、だっていちいち取り除けてほこりを取るのが「面倒くさい」んだもの、
だからかわいいものがいろいろあるのに「ほこりがない」なんて本当の「掃除好き」、ダーリンママみたい。
(ダーリンママも「飾らない」人なんですが、いつもどこかを拭いています、「拭き魔」、ですな)
実はとても「雑」な私の内面をよくあらわしているのが「部屋」の状態で、
私は非常にウエットな、女性的な人間に見られがちで、そしてある程度はそれを「意識」して、「演出」もするんだけど、
よくよく見たらそうでもない、「見掛け倒し」なんですよ、「女らしさ」も。
部屋も「リヤドロ」をおいたり、家族旅行の写真をそれなりのフレームに入れて飾ったりしてるけど。
「和室」の「室礼(しつらい)」ってのは実によくできていて、ほぼ、どこに何をおくか決まってるんですな、
多分「茶道」の影響を受けてるんじゃないか、仏壇もいろいろ「形式」があるでしょ、ああいう「様式美」って言うか、
もう、理屈も何もなく「とにかくここにおくのが決まってる」、それに私はのっとったやり方で物を置くんで、
そこら辺から「禅寺」みたい、の発想が出るんだろうな、友達は実に鋭く私を知っている、「らしい」と思ってるんじゃないかな。
でも別に「片付けられない(?)」友達を「責めて」はないんで、そこが私の「インテリア」の課題かなあ、
「片付けたくなったら見たくなる部屋」というのはほめ言葉として受け取っておこう。
「片付ける」について書きたいことは色々あれど、親戚筋との付き合いが待ってるんで、続けるかどうか未定。
「泡のチカラ」は、評判が悪かったのねー!昨日、あずみぃさんのところで初めて知る。
そうか、「ジョイ」がいいのね、安売りじゃないのは目に入らないので選択肢になかった、
生協ブランドのあわ立ちの悪さはやはり「米ぬか成分」のせいなのか、地球に優しくても私には優しくないのよね、
においも、よくないけど、後々まで不快になるって感じでもない。
一長一短だよねえ、、