「迷いつつ、書く。」

昨日の話の続きで「こんな人が親になるなんて、、」という一種の「罵倒」なんだけれど、
これは実際に親である人への「あなたの子供がかわいそうです」なんてのよりは遙かに罪のない言葉でしょ、
だって、実際に存在する子供に向けられたものではないものね。
私は親になることがそんなにえらいか、と問われれば、理想の子育て論を語る子供のいない人よりも、
毎日幼児の面倒を見ている馬鹿親の方を「立派だ」と思う人間なので、「えらい」と答えるな、
その考え方からすれば今存在しない子供に向けた悪意なんてなんの意味もない。
まあ、ネット上のたいていの言葉に本当は意味なんてないけれど。
ネットを読んでいると、随分親と確執のあった人が多いようで、そんなにも親に反発する形で
執着心を抱けるとはうらやましいと思うことがある。
子供の反抗心とは奇妙な形で現れることがあって、今にして思えばなんと理想的な寛容なご両親であったことか、と思う
素晴らしい家庭に育った何不自由ない娘が何故か、おかしな男に入れあげたりする、
決して、親は結婚を反対しているわけでもなければ、別な相手を押しつけようとしているわけでもないのに、
何故か自分を大変な被害者に仕立て上げて私の目から見ればどうしようもないような相手と勝手に盛り上がる、
多分、あれは親にどこまで甘えられるのか無意識のうちに試していたんだろうな、
何故そんなことをするようになったのか、私にはその心の仕組みがよくわからないのだけれど、
結局、娘が経済的に自立しなかったがために多くのものを親からも自分からも奪っていってしまった、そう言う話を時々聞く。
以前、とある総合病院の院長夫人が私くらいのいわゆる「アラフォー」の親のすねかじりをまだしている娘が
精神を病んで通院することがよくあると話してくれて、
つまり親がもう介護の段階に入って、それまでどれほど反発したところで経済的にも精神的にも親に依存しきっていた娘には、
頼りなくなった親を受け入れることが出来ない、「娘は適当な時期に必ず追い出しなさいよ」的な話をしみじみされてしまって、
3人お嬢さんがいるマダームの現況はいかながものなのか、聞いてないから知らないです。
「家から出て行くほど親孝行なことはないのよ、あなたは親孝行だったのねえ」と今頃ほめられたりする私。
親であったり、子であったり、育児が終われば介護が始まるのよね、、とその順当な枠組みにいられることを半ば感謝しつつ
ひょっとして、子供は親孝行なあまり親から離れられずどうしようもない関係に陥る場合もあるのかも、と考えたり。
親にとって子供がする最大の裏切りは子供を作ることかもしれないな、だからヤンキーは、出産が早い、(違う)
いつまでも子供のままでいて欲しい、と親はどこかで思うものだもの、
それがねじれて結婚できないでいる人もいるか、そこまで私は自分の親や子供に執着心があるかな?
所詮は「男か、コーヒーか」で「コーヒー」に相当傾く人間だからなあ、、、
と言っても、「子供か、コーヒーか」だと、迷わず(つか、「コーヒー」が飲み物だってことすら忘れるよ、その場合)「子供」だし、
「心」とは複雑なものだ、、