雑記。

「専業主婦の鏡」と言えば「栗原はるみ」さんの名前がよく挙がるけれど、私は本当に彼女が税法上の専業主婦であるかどうか怪しいと思っている。
彼女は有名なプロデューサーの奥様で、ご主人は自分の事務所を構えているだろうから税金対策として
妻を「取締役」にしていてもおかしくないと思うしね。こういう人は裕福(限定?)な自営業者によくあることで責めるに値しない。
ただ、豊かな専業主婦が本当に多いかどうか、考える手がかりにはなると思う。
専業主婦をしていて思うのはネット上でもよくあることだけれど、その属性だけを取り上げて「やはり専業主婦だからこうだ」と、
単なる思いこみをぶつけられることが多く、そういう人たちは「私」をみないで「専業主婦像」だけをみたがる、
これは「働く母親はやはり駄目よね」と一部の勘違いした専業主婦が言いたがるのと同じで、
どこの世界でももののわからない人っているな、としみじみ思う。
ネットでも現実世界でも仕事をしていようが専業主婦であろうが、私は訳のわかった人とつきあうのが好きなので
たまに「やっぱり専業主婦はこうだもの」のように書いている人を見かけると驚く、
そんなに「人」をみないでまともな社会生活が出来ているのか、と。
仕事と育児に煮詰まっている従妹が今「専業主婦」にあこがれていて、しきりに私がやっていることを賞賛して
「やはり専業主婦だからこういうことが出来るんだよね、、」と言われて、いやはや、「専業主婦は駄目」の「裏」「表」だよな、
どうしてそうなっちゃうんだろうね、とため息が出る。
私が従妹に仕事を辞めて欲しくないのは、ひょっとして今やめたら後になって「子供のためにやめてしまった、、」と後悔しないか、で、
「自分のために」、自分でよく考えてやめることには反対しない。
「専業主婦」という生き方も出来るのならば悪くはないからだ。私は「専業主婦」であることを楽しんでいる。
やはり自分の時間を自分で考えてつかえるのは楽しいことだ、その時間が例え家族のために全て費やされるものであっても。
そうした時間も長く続くものではない、あと数年で子供達は独立するだろうし、今、自分のために時間も少しづつ増えてきている。
専業主婦にならなければよかった、と今までほとんど思ったことはない。
私の場合、配偶者と同居して子供を育てるにはもっともよい方法だと判断して、もし、もう1度同じ立場に戻ったとしても同じ判断をする。
別居していたら子供を持てたかどうか、また、相手と共に引っ越して思いもよらないところに住んで経験してきたことは
穏やかな(?)職場でずっと勤めるよりも私にとっては「勉強」になった。
たいていの人は望んだもの全てが手にはいるわけではない、
自分がもっとも大切だと考えるもののために別のものをあきらめなければならないことはよくあることだ。
何をあきらめるか、「自分で決めた」と思えるのかどうか、今、忙しすぎてそれを考える時間すらない従妹に
言えることはあるのか、会う前によく考えておこう。一度、仕事を離れるのもいいのかな、と思うんだけど。
「専業主婦願望」に「逃避」しているのも、彼女なりの「ガス抜き」なのかな。