専業主婦、「仕事」を考える。

30前後や50前後の「専業主婦」の方々とお話する機会が時々ある。
私がいつも不思議なのは、およそ20年の時代を超えてなお人間の「見られたい」意識が変わらないことだ。
昨日ネタにさせてもらった人が書いていた「自分は働いている女性に見られる」と言うのは
よく50前後の専業主婦の方が口にする台詞で、私はなんとなく「クロワッサン系?」と思ったりしている。
「私はとても自由、働こうと思えばいつでも働けた、そしてその能力もあった、
幸いにして働く必要はなかった、でもぬかみそ臭い女では決してない」と、
「私って、よく仕事している人に見られるのよね」とすかしたふうに言う彼女、でも実際はどう考えても
仕事が出来るとは思えない自己チュー、一見個性的でありながら全くの無個性に私は絶望を見る。
できればこうはなりたくない、でもこうなっちゃうんだろうかねえ、、なんて、
その時「痛い」自分を笑えるようでありたいと思ってはいるけど年々劣化するこの記憶、どうなることやら自信がない。
もう一方で、30前後のお嬢様奥様で「(私の名前)さんみたいなステキな専業主婦になるのが憧れです!」
なんて、子供が二人女の子でも決してあんたが考えてるような生活、私してないから、と心の中で思っても、
「そうなの?どうもありがとう」なんちゃって、まあどこまで本気で言ってんのかわかんないよな、
と心底黒い私は思うわけで、話しをしていたら、
やはり「仕事は出来るんだけどー、でも専業主婦の方が今はステキかなー、みたいな」の意識があるらしく、
私は漠然と違和感を覚える。それで私世代の40前後は「専業主婦、ちょっと格好わるい」的な感じ方を持っていて、
でも最近はどうも風向きが変わってる?専業主婦は「レアもの」扱い?みたいな、
居心地がいいのやら、悪いのやら、どっちつかずの中途半端な意識のままでいる。
「専業主婦をやってる素敵な私、でも仕事もやろうと思えばちゃんとできるのよ」と、
彼女らの言うその「仕事」ってのはどんな「仕事」をイメージしているのか私にはわからない。
前々回、私が結婚してまともに家事をいつするようになるか、と書いた時、お気に入りの方が
「食べたくない食事を作るのはえらい」とほめてくださって、「ヘへ、そうかな?」
と大いに気をよくしたんだけれど、私は自分が食べない食事を作るのは苦痛じゃない。
これは何故か考えたら、私は多分「専業主婦」を一つの「職業」として捉えているからだと思う。
「それが仕事だ」と思えば人間なんでもやれる、と考えていて、たとえそれが戦争で人を殺すことであっても
「やらなければ死ななければならない」となれば絶対私はまばたき一つしないで人を殺せると思う。
なんで自分が欲しくもない食事を作らないといけないのか、「愛のため」と答える人もいるだろうが、
私はそれ以上に「それが私の仕事だから」と考える。
そして「仕事もできるのよ?」と言う人に苛立たしさを感じるのは多分彼女らが「専業主婦」を
「仕事」として受け止めてないからだと、私は最近感じるようになってきた。(長くなりそうなんで続く)