にわかには信じがたい千葉のニュース。地域の困惑は想像するに余りある。続報を待つ。
昨日は増田に「専業主夫になりたい」があり「週2の弁当」に目が点。
なにを計算して弁当が週二日ですむと思うのか、
君が「専業主婦」を雇う立場になったとき、それを許すことは出来るのか、と問いたい。
「そういう専業主婦もいるじゃないか!」という人間もいるだろうが、その場合、他の価値が非常に高かったりするのだよね、
配偶者がその配偶者の顔にべたぼれだとか。
ものすごいイケメンで「君の顔だけ見てれば癒される、、」と思わせるほどなら「あり」だけど、増田では無理そうだな。
私がざっと見たところ、増田の一番の売りはやはりその若さなので
自分より20才以上年上の女性と結婚して貞節を誓えるのなら「あり」かな。
ただその場合、自分よりはるかに早く相手が老齢期を迎えるので当然「介護」もしなければいけない。
その「覚悟」があるかどうか、あまり安易に「専業主夫志望」なんていわないほうがいいんじゃないかな。
それよりは、一緒に働いてくれるパートナーを探して全てを折半にすることを目指したほうが良い。
「貧乏だから結婚したほうが良い」が一番よい結論じゃないか。
結婚の一番のメリットは「二人になる」でそれ以上を求めるには自身が大きなメリットをもっていなければならなかったりする。
増田にはそれがなさそうだ。
「専業主婦業」に関しては誤解が多いというか、普通に仕事をするのとほぼ変わりがない業務が当然のように待ち受けて、
しかも失敗はほぼ許されない、成功が当たり前、であるのがあまり理解されない。
外で働くか、うちで働くか、の違いしかないのだよ。
家事とはマイナスをゼロにする作業といったのが「捨てる!技術」の辰巳渚だったか、
たとえばこまめに排水溝の掃除をしたところでそれは「見える成果」ではないからね、「当たり前のこと」でまったく評価されない。
それでもそれを怠って不具合がでたら、クレームがでる、日々の家事とはそういうものです。
しかも専業だと子供の教育も全てその双肩にかかってくる。むしろ、それがあるから「専業」だろ、な、
そこで大失敗しようものなら、世間的にもつるしあげだ、その覚悟はあるか?と私は聞きたい。
たいていの恵まれた専業主婦はこれをまるで努力ひとつしたことがないようにきっちりやりあげるのでな、
経済的に恵まれた配偶者を持つというのは、そういう責任を社会に対しても負うということなのだよ。
結婚はしたい、でもその責任からは逃れたい、の増田のような人は昔から無数にいて女性は確かにそのポジションはとりやすい。
私が若かったころは文系大学院が乱立したころでその進学に優遇措置があったのか、
仕事がやめたいから結婚して、でも子供は産みたくない人が「大学院進学」をしていた。
その結果がどうだったか、聞いた限りではあまり芳しくない、少なくとも大学院進学を活かして仕事をしている人はほぼいない。
最近の「専業主婦だけど、専業主婦と呼ばれたくない!」の人は院進の道も険しいので「ライター業」が人気ではないかな。
さすがに私世代の轍は踏むまいと「子供は産みます!」の人が多いようで、
「自宅で出来る!」が子供を持つ上での一番のメリットか。
ただこれも頭打ちになるんじゃないか、私の子供世代はネットで映像は楽しんでもコラムを読む暇はない。
私のような世代ですら、映像のほうに傾く。簡単だからね。
それでも堅い職業の夫がいれば何とかなるし、子供を産んでおけば、夫が堅い職業についているが故に離婚されることもあまりない。
この手の「生存戦略」を「新・専業主婦」とアメリカでは指摘されてなかなか正しい認識だと
オールドタイプの専業主婦の私は思ったりして。
この人たちが今後どういう方向に進めるかで、その存在が本当に「あたらしい」かがわかるのだけれど、
昔と変わらず、「子供の出来」で評価される世界に突入せざるを得ないのがわたしには見えているので、
結局「専業主婦」業はあまりお勧めできるものではないかな。覚悟があるなら、がんばれ、とだけ。
人間は目に見える評価の世界で生きていることは忘れてはいけないけれど、
おそらく社会のほとんどは目に見えないもので出来ている。「専業」であっても社会の一部であるのだけは確かか。