Mr_Rancelotの「専業主婦」批判を読む。(おわり)

つい先日、中学生の娘が朝食のアンケート結果について「朝食を誰と食べるか」の問いに
「うちの中学の生徒はほとんどが「子供だけで食べる」だったから、よくない、って言われた」
と不満そうに話した。「朝御飯を子供だけで食べるってそんなに悪いかなあ、みんなそうじゃないの?」
と至極もっともな話しをしていくぶん傷ついているようなので、
私は「子供だけでもお母さんやお父さんが狭い家の中で仕事に行く前に洗濯したり片付けして
うろうろしているんだから悪いことじゃないよ」と答え納得させた。
私はこんなアンケートがごく普通の悪気のない家庭をまるでおかしな環境であるかのように
作為を持って示されるのに腹を立てている。これは初めから狙った結果を得られるように
作られたアンケートではなかったか。何かとバタバタする朝食時間に家族そろって「いただきます」なんて、
「理想的」かもしれないが、現実はそうじゃない。
このアンケート結果は、家庭生活に介入する「理由」として「世間」に認識させ、
罪のない大勢の親子を自分達が悪いことをしているように思わせるためではないか。
「責められても仕方がない」と。
こんなことを冒頭から書くとMr_Rancelotは「ルサンチマン」「同情しない」「子供のことを出す」
と書くだろうが、私は私の日記に私の現実に即した事実を書いている。
そして、私は「専業主婦制度批判」もこのような一連の動きと関係していると見ている。
普通の子供が朝食を家族全員でとらないがために「成績が悪い」と扱われるのも「仕方がない」
と思わされるように、それほど恵まれてもいない多くの「専業主婦」達を「叩かれても仕方がない」と思いこませ、
より恵まれない状態におかれても沈黙するよう強いる。これはやはりニートの実像をはっきり示すことなく、
叩くべき存在として本人達もそれに納得するように持っていくこととおなじに見える。
社会の歪みの実体を調べずただ微細なことを膨大に広げて定着させる、そのことで利を得るのは一体何か、
考えることはしないのだろう、
Mr_Rancelotのようないきなり「頭の悪い専業主婦」とコメントをつけてくる「頭のいい」人間は。
しかし、私は現実をはっきりと認識しない人間が適当に言葉を羅列しておかしな言説を示すことに
あくまで反対し続ける。私には「子供」がいるので。
現実社会においてもどれほど事実とは違う話しが跳梁跋扈していることか、
まるで「公立校の子供はクズ」とでも言わんばかりの新興教育雑誌のあおり文句、
不幸にして職を得られなかったものまで「ニート」と呼ぶメディア、
低賃金で使い捨ての人間に「くたばれ、専業主婦」、
それに反論すれば「朝食を子供だけで食べる」、「おぞましい親」、「頭が悪い」。
実際は公立校の子供も聡明に生きているし、親もしなければいけないことはする、
頭の悪い専業主婦も必死に反論する、それが本当に「悪い」ことなのか。
私は子供に「現実」と「真実」を、できる限りすりあわせて世界を生きてほしいと望んでいる。
「邪」とされたものが本当に「邪」であるのか、「善」が本当に「善」であるのか、
それが「真実」であるかどうか、向き合う心を私は「知性」として子供に持ってほしいと望んでいる。
Mr_Rancelotは思い込みたいものだけを「事実」と認識し、それ以外のものには「頭が悪い」などと
下らないラベリングをして嘲笑を浴びせる。
知性がそれほどのことしかできないのなら私は知性のない人間であることを心より誇る。
私が子供に望む「知性」はそれを持たないものを愚弄することでのみ成り立つものではなく、
不幸にしてそれをもてなかった存在を受け止め励まし、理解につとめるものであるように、育みたい。
昨今、全てが「仕方がない」で終わらせようとしている。「戦争を望む声があっても仕方がない」
「原爆を落とされたのも仕方がない」「憲法を改正しても仕方がない」「低賃金で働かされても仕方がない」
しかしその不自然な鬱屈は必ずどこかに向かう、その鬱屈をどこに向けるべきか、認識する人は多くはいない。
権力者達は巧みに弱者を誘導し、その弱者とかわりのないレベルの弱者を叩かせることで
鬱憤ばらしをさせようと画策する。例えば「少子化」などさも女性が社会進出したせいだと、
フェミニズム」のせいだと、成人男性に職がないのも能力のある女性のせいだと、「家庭回帰」の声を
「親学」にのせて女は家庭に引っ込めと、それに憤る女性には「専業主婦」を叩けと、
制度で優遇されていると、専業主婦には仕事を持つ母親はやはりまともな子育てなど出来ないと
「洗脳」をはかる、なんと下らない連鎖であることか、どこかでそれを断ち切れないものか、
私はずっと考えている。
私は「専業主婦」を、結婚する、しない、子供を持つ、持たない、の非常に個人的な「選択」のあいまに位置する
奇妙な存在と見なしている。結婚、出産、仕事、そうした選択肢のはざまで状況によっては
選ばざるを得ない一つの「手段」ではないか、できれば避けたい「手段」ではあるが。
しかし永きに渡って社会を陰でサポートする存在にもなりうる。
例えば結婚出産後も働き続け、今それなりの役職についた私の友人は子供が幼い時、保育所を見限って
実家の専業主婦の母親を活用して乗り切った。
私の母親世代の専業主婦は働く娘を孫の「育児」でサポートしている。
(もっとも、私の母親はフルタイムの仕事をしていたので出産の時でさえほとんどそのサポートは望めなかったが。)
専業主婦である私は娘が仕事をしながら結婚出産したらそのサポートに向かうことだろう、
ほとんどの「専業主婦」のありかたは現実にはかなり社会に貢献していると言えるように私は思う。
私はよく保育園に子供を通わせるキャリア女性の日記を読ませて頂くが驚いたことに
10年以上前、友人がこぼしていたこととほとんどその苦情の内容が変わっていない。
公的機関のサービスとはその程度なのだ、社会構造のゆがみをそこにも見る。
それなりに必死で生活を支えようとする人間をそれぞれ適当に叩かせガス抜きをはかり、
一握りの権力者はいびつでも自分達に都合のいい社会構造を維持しようとつとめている。
私は働く女性にはできる限り働き続けてほしいと思うし、安いパートタイマーであっても
時間をやりくりすることで子供と過す時間を多くとれることを選んだ専業主婦をわけもなく世間に叩かせたくない。
今週、職業体験に行く中学生の娘が
「もう週休二日の仕事になんてつけないって、わかってるから」ときっぱり言い切った。
既に恵まれた社会を夢見てはいない。「おぞましい親」に育てられた確かに「気の毒な子供」である。
それでも勉強をし、仕事になんとかつき、結婚もして子供も産みたいと言う。
こんな世の中で、世間から「公立中学の子供なんて」の目で見られても
やはり子供はこの社会で生きたいと望んでいる。
彼らが社会に出ていく時、また世間は「学級崩壊世代」「家庭崩壊世代」と若さ故の小さな失敗を
さも大きく取り上げて叩くだろう。それは誤解だと私はいつまでも日記で訴え続ける。
たとえその行為がMr_Rancelotに「頭の悪い専業主婦」とラベリングをされても。
私は何回も彼の日記を読んだが他人をいきなり糾弾するほどの知性も教養も見い出すことは出来なかった。
それも私の頭が悪いせいだろう。思うに彼と私とではあまりに書くやり方が違っている、
彼は言葉で自分を夢見る、私は言葉で自分をあらわす。
Mr_Rancelotは私に興味を持ち私の日記を読むそうなので返礼として私も彼の日記を読むようつとめる。
他人を「頭が悪い専業主婦」「愚鈍で下劣で下品な女」「おぞましい親」「子供が気の毒」
とまで断じる人間の知性がどれほどのものであるのか、いつかわかるのかもしれないと、
大いに期待している。(おしまい)