かんわきゅうだい、その2。

台風で動けなかったので再び「かんわきゅうだい」。
よく女性が「仕事と私とどっちが大事?、と聞く」とされるが、「お金と愛とどっちが大事?」
も同じ傾向の質問だと思う。
「どっちも大事」がまともな答えだろう。少なくとも私や私周辺の人間は息するようにそう答える。
何でそんな当たり前のことを聞くのか、「仕事が大事」と答えられれば
それを聞いたとされる女性はどうするか、私がその女性ならさっさと別な男を捜すだろうし、
「君の方が大事」なんて言う男にも愛想を尽かすだろう。
そんな質問をさせるに至った状況を考えれば仕事にかまけて
彼女と会う時間を融通できないようなら出来る人間とは言い難いかもしれない。
そういう人間とつきあえないのならもうつきあうのをやめるしかない。
何が本当に聞きたいのか、相手を試しているに過ぎない質問は馬鹿馬鹿しい。
「もし川でおぼれている人間が二人いて、片方は善人、片方は悪人、どっちを助ける?」なんて質問も
確かテレビ番組か何かで聞いたがあまりのあほらしさにあきれてしまった。
私の答えは「両方助ける」だ。当たり前ではないのか?
「善人」「悪人」って誰がどこで決めたのか、
そしてそれはおぼれている人間の頭にでも貼り付けているのか、私には考えられない。
この質問に誰かが「両方」と答えたら「片方だけだから」とにやにやする質問者を
私は心から愚劣だと思った。
決まった結論を導き出すのに使った「たとえ話」だったがこれは「善人を選ぶ」
と最初からはっきり設定されている。
「じゃあ両方ともやめておく」と答えれば、その答えの人間はとんでもない「悪人」とされるだろう、
もちろん「悪人」を選んでも。
仕組まれた答えしかないのに何故それを「選ぶ」とでも言いたいか、このずるさが私は嫌いだ。

ブックマークコメントに「地方の独身率が低い」とあったが、都会より地方の方が若年層は薄い。
そして地方名物「ヤンキー」君たちはそれがいいか悪いかは別にしても実に気軽に
何回でも結婚してくれる。
またこんな僻地に、と驚くような山間で中国人妻は珍しい存在ではない。
地方の独身率の低さなんて数値が一体どんなものか細部を検証していけば
いろんな問題が見えてくるはずだ、「愛か、お金か」も。

私は「愛とお金は両方大事」の考え方のどこがいけないのかわからない。
「愛だけが大事」と答える人間のうさんくささと同じく「お金の方が大事」なんて言う人間も
私は本当にそう思っているのか疑問を抱く。そんな人間は私が知る限りいない。
「愛」も「お金」も必要なものだ、切り離しては考えられない。
また「お金だけが大事」な人間はその方向に向かってまっしぐらに進むだろうから
「愛だって大事」の人間と会うとは思えない。
「お金がないから結婚できない」のは切実な悩みだ。
でもそれだけで結婚に踏み込めない、なんてことがあるだろうか?
むしろ「決められない」「決めるような相手がいない」を、「お金がない」に
ごまかしているんじゃないか。自分の優柔不断ぶりを隠したい、
これが「全く相手が見つからない」よりも案外多いんじゃないか、と私はよく思う。
「全く相手が見つからない」も困った問題だ、東京の男女の20歳以上の未婚者数を見ると
男性がかなり多い。単純にカップリングしても数が足りないんじゃないかと、
地方の独身率の低さを見るよりもっと考えろ、と私は言いたい。
「愛」か「お金」か、じゃなくそれ以前の問題が様々あると見えてくるはずだ。
一方で、男性の場合、私が配偶者と結婚した頃は珍しかったが10歳以上離れた相手と
結婚することは十分可能だ。
40過ぎたやさぐれおやじでもふと二十歳そこそこの女性に純愛を見いだし、
子供をはぐくむ可能性がないわけではない。
しかし女性はその道が男性と同じくらい開けているか、あるかもしれないがかなり珍しいだろう。
そういうことも考えながら「お金がないから女性は結婚しない」なんて説を考えてみてはどうか。
悪いのは女性のそんな考え方だけか?本当に女性は「お金だけが大事」なんてみんな考えているのか?
「もて」とか「非もて」とかそんな問題は「お金」だけじゃない、様々な複雑な問題が絡まり合っている。
簡単な「結局、女は金だから」なんて答えに飛びつく男に、私も「そう、お金」としか言わない。
腹が立つから。考えていないから。「頭の悪い専業主婦が多い」なんて書く人間と同じだから。
「愛かお金か」と女に尋ねる男は「仕事と私とどっちが大事」と聞く女を捜せばいい。
きっと考え方は合うはずだ。私が男であっても女であってもその問いに迷わず「両方」と答える。
くだらない質問は選択肢以前の話だ。
「3次元の女は見放した」と男がうそぶくように、
女だって「愛よりお金かも」とうそぶくこともあると何故ある種の男は理解しないのか、
うそぶくのは男だけがすることなのか、
女の「愛よりお金かも」の言葉の裏にある不安を何故見ることが出来ないのか、
それも一つの結婚難の原因に私は思う。
ライブドアーニュースによると「9割」の子持ちの専業主婦がまた働きたい、と答えたのだそうだ。
「専業主婦志向の女性が増えた!」のアンケート(?)結果は何年前だったろう。
選ぶって、生きるって、何なんだろう、とふと思う。
みんな愛もお金も仕事も子供もほしいんだ。
どうしたらそれが出来るか、単純な答えだけにしがみつく人間にはきっと見えない。

追記;Mr_Rancelotの卑怯なエントリについてどうしても我慢できない点があるのでついでに指摘。
彼は7月11日の「chazukeさんに答える」というエントリで
私の3月31日の「私も泣いた」のエントリを取り上げて
「彼女は別の記事で、赤子を放って親が外へ遊びにいったがために赤子が死んでしまった事件について、
親を批判する声を批判している。そのこと自体は一概に非だとは思わない
(これについては彼女の意見は傾聴に値すると思っている)。
しかし実際に赤子が死んでいることについての、赤子に対する同情は抜け落ちていると思う」
などと書いている。
私はこのエントリの最後に
「泣けるのは魔がさしたお母ちゃんだけにじゃなく、
ほとんどは生まれてきた意味もわからずに一人で火に包まれた子供に。
哀しい。」
と書いている。あの子供への同情は抜けてなんかいない、彼は非常に悪質な印象操作を行っている。
よほどコメント欄に書き込みに行こうかと思った。
Mr_Rancelotは「相変わらず愚鈍で下劣で下品な男」である。