ねほ・パほ・メモ。

「港〇女子」と、はてなでたむろってる有象無象が

NHKに持ち込みでもしたかのような回があって、

考えてみればねほ・パほはネットの話題ばかりを取り上げがちだな、

視聴率は上がるのか、不思議に思うおばはんがここに一人。

キャバ嬢のフリーランサーのような存在は

おばはんが女子大生時代からあったのでそれ自体はさほど珍しいものではない。

私はむしろ「一見・素人」の女の子と遊びたがる「港区男子」を知りたい。

そこそこの社会的地位もありお金に不自由しない身分ですることが

下ネタ含みなショーもないこととは、いったいどのような心の闇を持つのか。

下ネタならば本職の夜の蝶々さんたちのところに行けば良かろうに。

そのほうがよほどスマートなのに、できないのか、飽きたのか。

番組に出ていた女性は二人とも30代で、

飲み会に行くときは「24歳」と「大さば」を読むのに驚かされた。

この手の年齢上限は25歳ぐらいなんだろう。〇ャニーズは10代女子と遊ぶようだしな。

印象的だったのは「ギャラ飲み」で知り合った「港区男子」と恋愛関係になるか、

の質問に一人が「そういうのはない、相手から線引きがされている」と

同じ階層のものではない、一緒に調子よく飲む女の子を男性側がどこかで

人間扱いしていない匂いを感じた。たかだか金を少々払った程度でなあ。

お金を使ってきれいに遊べるのなら上等だが、ひたすら下世話に落ちていく、

そのむなしさを感じないほどに馬鹿な人間でも金はあるのか。

大学時代の知り合いに経済的に大成功したものの、3回離婚して子供もいない、

今は夜の蝶々さんたちをとっかえひっかえしているのがいて、

一緒にいる若い女の子をその場にいる人間がいたたまれなくなるほど

無意味に罵倒するので、昔の知り合いは誰も彼に会いたがらない

どこまでお金で若い女の子たちを引き留めていられるのか、

この手の話は利用される女の子より、男たちのほうがもっと不幸なのかも。

彼にお金はあっても私の周囲には誰もうらやむ人がいない。

かつて、花街では貧しい階層出身の女の子たちと上流階級の若い男性たちが

恋愛の練習場としてお座敷遊びをするのを

大人の男性が一種の「通過儀礼」として経験させて、

それはどれほど恵まれた階層に生まれても、自分で人生を選ぶわけにはいかない、

結婚相手も選べない若い男性に、つかの間の「恋愛遊戯」を味合わせる、

お金を通してではあるが、どこか人間味のある「場所」が提供されたようだ。

女の子の「心」を買うがために高額なお金のやり取りもあったが、

そういう感傷も今の「ギャラ飲み」なるものにはなさそうで、

つまらない上にも不幸が匂う、男も女も。

他人の不幸は見世物になるのだな、あまり趣味は良くないな、と思ったのでした。

おわり。