ブックマークを読みました。

昨日ついたブクマ(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20080702)を拝見してなるほど、と。
「お父さんのようになってほしくない」と思っている母親もけっこう多いのかな、とも思う。
父親より上を行ってほしい、という意味も含めて。で、これは妻の現状(夫含む)への不満を反映していたりとか。」
ううむ、「理想の上司」が子供の実の父親だったりして、、と土曜ワイド劇場(今はなかったっけ?)的妄想をしてしまった、、
いや、そうではなくて、「現状への不満の反映」にしても子供への接し方にどこか「遠慮」があるなあ、と
本田さん言うところの高学歴母の「きっちり子育て」(本の中では「きっちり」と「のびのび」の言葉を用いて数値で表しています)は、
どこか子供とぶつかり合うことを避けているように思われて、それが本当に子供にとって「いいこと」かどうか、私は疑問に思う。
「理性的であらねばならない」の意識が子供を遠ざけているような、
たまに腹立ち紛れに愛情も込めて「お父さんのようになっちゃ駄目!」を言ってもいいんじゃないか、
「お父さんにもいいところがあって、そこはちゃんと見習って欲しい」とかそういうことが言いやすい「環境」が
子供にとって何よりも大切なんじゃないのかな。
「家族」なんだからある程度は遠慮なくものの言える関係、
そういうのが上手に出来ているのが高学歴とは言えない母親の「のびのび」育児法に感じられた。
「こんなお父さんは好き、こんなお父さんは嫌い」とはっきり言える母、あるいは父、それが言えるのは子供の感覚を信頼しているからではないか、
喧嘩をしたり、仲良くしたり、そういう一番身近な人間関係をみながら子供は育っていくので、
「あ、こんなことは言わない方がいいのかな」とか、「こういったらこうなっちゃうのか」とか学んでいくのかも、と思った。
親と子供の「距離感」を、特によいご家庭の方々に感じることがあって、それはそれで家庭の「色」として結構なんだけれど、
そんなに子供に遠慮しすぎなくてもいいんじゃないか、「自主性」の言葉の中でかえって子供が身動きをとれなくなってるような
「感触」を持つことも時々あるので (でも、あくまで私の「主観」による「感触」)、自分にはないものを補うかたちで
色々なお母さん達の意見を知ることの出来る幼稚園、小学校時代は母親にとっても有益だなあ、と思うのでした。
それから
「育児に親が求める完璧さを求めるのはいけない気がする。親が完璧を求めるほど、親も子も余裕をなくして息ができなくなるんじゃないか。
適当な穴がないと辛くなるのではないかと思う。」で、
その「適当な穴」をどこに開けたらいいのか、「きっちり子育て」派の母親は見極めがつけられなくて迷走してしまう気がする。
その「完璧」は自分にとっての「完璧」であって、「自分ではない」、自分の子供の「完璧」ではない、がわかっていればいいんだろうけど。
上の子が高校に入って、今までとは環境が変わって非常に熱心な保護者の方々にお会いする機会が増えて
「え?」と引く部分もあったりして (私の「感覚で」ですが)、親の育児への「熱意」と親子関係の「距離感」のバランスが
うまくとれてないような、と言って、自分はどうなんだ、と思うので、何も言えないです、ハイ。
「熱意」があるから「距離」をとるのかな?自分で自分の言ってることがわからなくなりました、
養分を与えるだけでは育たない、土がしっかりしていないと吸収されない、と「ガーデニング」なことを言い出すのでした。
本田由紀さんの「家庭教育の隘路」は母親達のインタビュー部分だけでも面白いので、おすすめです、お暇な時にどうぞ。
最終的に言いたいのは、この「家庭」の差を「公教育」がきちんと埋めていく、なんだけど、どうなるんだろうな、、、