ネットといじめ。

いじめとネットの関係について、私はまだ今のところネットはいじめの手軽な「手段」と使われていると考えている。
上の子が実際いじめの被害にあった2年近く前は、ようやく携帯が中学生にも普及し始めたころにおこった
「匿名メール攻撃」だったので、その被害に子供がさらされた保護者はとまどって右往左往するのみだった。
大体、私の上の子供の親世代は若くてもせいぜい30代後半、子供が3人兄弟であれば50代の親も珍しくない、
親が「ネット」という「ツール」になれていないので対応が後手後手に回った、の印象がある。
3年経って、今、下の子が中学1年生となって、中1で「携帯デビュー」がほぼ「常識」化し、
その対応も親世代も少し若くなったので変わりつつある。
なんにしても「裏サイト」「プロフ」、と次々現れるものにどう対応するか、ネットに免疫のある家庭か否かで相当開きがあると思う。
私は昨日トラックバック先でも書いたように、数ヶ月ほど前に自分がネットで日記を公開していることを子供達に教えている。
日記を書き始めた頃、私は自分の配偶者以外がそれを読むとは思っていなかったし、子供もまだ幼かったので
何も考えていなかったが、子供と共にリビングでネットをするようになって、ネットを考える一つの手段として話した。
「言葉」の重みと、ネットの世界とはいったい「何」なのか、私自身の経験を通して子供にも考えて欲しいと願っている。
まだ「ネット」は殺伐たる世界だ、そこで一つの人格として私が「書く」こと、不意打ちの他人の暴言にどのように接するか、
私が書いていることを知らせておけば子供達が「読んで」、思うことを、直接、「私」に「聞くことが出来る」、
あくまで「読んでくれれば」の話ではあるが。
残念ながら、子供は親の書いている「日記」などに「用」はない、
「ママはママだもの」の一言で、「ママが何を書いていても別にかまわない」と、誠につれないものだ。
ただ、「ママが日記にこういうことを書くとね、こういうことを書いてきた人がいるのよ」という話を時々する。
それに対して子供の反応が様々で、具体例を今思い出せないが、私などとは受け止め方が
子供の頃からすでにあった「道具」としてネットを使ってきた世代と違うのだ、とよく考えさせられる。
私はこの点に関してはむしろ子供から学んでいることが多い。
ネットが生活の延長線上に組み込まれる、とは感覚の育ち方が違うようだ。
それ故なのか、「いじめ」をされている最中のネットでの「言葉」の力は絶大だ、
「ネット」を「クール」に受け止めている用に見える世代でも、そこが相乗効果のようなものを産んでいる。
高校生の自殺にネットが関わっていることが報道されて、衝撃を受けている人も多いだろう。
私は「ネット」の言葉が全てだった、とは思わない。
ただ「引き金」になった、あるいは「最後の一撃」になった可能性は否定できないと思う。
その「引き金」になる可能性を「知って」いても、「書く」人は「書く」。
この「対応」を私は子供と共に考えていきたい、と思いつつ、
子供は本当に困った状態でなければ親など全く必要としない年齢に達しているので、なかなか難しい。
今回、高校生のいじめの末の「自殺」をネットの「規制」に絡めようとする人がいるらしいが、これには違和感がある。
ネットは「いじめ」の「道具」だ、「言葉の暴力」の亜種ではないか。
そのいじめの一場面に大人がどう介入していくべきか、それを私は考えたい。
いっそ、公開されたネットであるからこそ、いじめの場面に大人が介入しやすいかもしれない、とも感じる。
ただ、ネットは非常に「いじめ」をするのに適した価値観を持つ人の多い世界なので、具体的にどうするか、非常に難しい。
ところで、2年ほど前のいじめの話を私がやっと書けるようになったのは、
現在、高1になった娘がめざましく成長し、その時の心の傷ときちんと向き合って受け入れ始めているのが確認できたからで、
特に今、子供のいじめで私が個人的に困っているわけではない。
それに私の子供に向けられたいじめも、期間にしたらたった「1ヶ月」ほどのことだった。
ただ、そのたった1ヶ月の時間が子供にとってはどれほど長く感じられたか、
その心の傷を癒す時間がどれほど長くかかったか、そのことを思うと、今後も「いじめ」に無関心ではいられない。
いじめは学校制度と関わりがある、と言う指摘をいくつか見ていて、それもあるが
子供の場合、それ以上に「年齢」、それに伴う「意識」も深く関わっていると私はネット上でしみじみ感じる。
(追記)
昨日のブクマコメントで
『子供はプライドが高い、「いじめをされている」と親にしられることを心からおそれる』同意。
同意だけども、そのプライドの壁を低くさせるのは親の躾の範疇じゃ無いかとも思う」があったが、
中学生の子供はどの子供も「プライド」が高い「事実」を知ること無しに
「親のしつけの範疇ではないか」と書くのは、
結局「いじめられている子供の親も悪い」と言うことになるのをpbh氏は意識していたのだろうか。
これこそが私が書いた「親も子も追いつめる」ことだ。
中学生の子供が「高いプライド」を持つのは成長過程として当たり前のことであるのを認識するべきだろう。
ネットは、「いじめ」に「むいている」、そこも大きな問題だ。