雑談。

福耳先生のあのエントリは何回か(?)書き直されていたのか、へー、私が読んだのはどの版だろう、
初めて読んだときのタイトルは確か「ケーキを売ればいいのに」だったな、そのあと「ケーキ」に変わったけど。
「書き直しました」とか「削除しました」とか、ちゃんと書いて欲しいなあ。
はて、私が読んで「あれ?」とか思った「嫁姑問題」はどこに行ったのか、と言うか、私がどこかとごっちゃにしてるのか
これだから、ネットをちら見するのはいけませんなあ、もう何が何だか。
へぇ、と思うことのある人のところを定期的に読ませていただくが、読んでいるうちに「あらら」と思う人っているなあ、
今回、一番がっかりしたのは、福耳先生は「イナバシンイチロウ」と仲良しなんだな!(ほんまか?)
よし、今後、私の「敵」と見なす!!(ちがう)
ま、うっかり「生徒に手を焼いた」と先生はなかなか書けませんな、わからないではないですが。
アホな生徒であってもこの先、楽しく生きていったりするんですよ、この私のように。勉強不足は常に身にしみるけど。
ネットの面倒なところは何をどのあたりで見始めたか、そもそもどこからそれが始まっているか、よくわからない点、
私の頭が悪いせい、と言われたらそれまでだけど、あとになって、「こういう因縁があったか」みたいな、
それもあって私は出来る限りよそへは行かないようにしているけれど。
トリアージについては、身内に救急医療を学んで阪神大震災の時も医療団として現地に入った人間がいるので
「おこってはならないことがおこったとき、とらなければならない苦肉の策」とは知っていて、
「本来はしてはならないことをせざるをえない状況」と、
ただ「黒」のカードを置くとき、それを置く自分の技量が足りないが故に置いたのではないか、
本当は置くべきではないところに置いたのではないか、そう考えない医師はいない、と身内が言ったことは事実なんだなあ、
「子供のお医者さん」先生のところを読んでそう思った。
「3人の医師でやれば救えるかもしれない1人ではなく、その3人の医師がもっと多くの人を診られるようにする」、
でも「3人がやってくれたら助かったかもしれない」と遺族なら思うものなあ、、
で、医療事故でも「最高のスタッフと最高のコンディションであれば助けられたはず」として、医師が裁かれるのか、
そういうことを考えてしまった。
トリアージにしろ、医療事故にしろ、素人の人間にはわからないこと、多々、こんなで裁判員になれるのかねえ。
ところで、私は「トリアージ」の正確なことを知っている人が多くて驚いた。
私はたまたま身内が話したことを聞いて知っていたが、そうじゃなかったらその言葉自体も知らないと思う。
それが一般人じゃないかな?必要ないんだもの、「トリアージ」の言葉は日常生活に。
だから福耳先生は「トリアージ」の比喩は間違ってた、と学生に話しておいて欲しいなあ、
学生はヘンな風に「トリアージ」を誤解するような。
私も「大学の先生の言うことだし間違いはあるまい」とたくさんの言葉を誤解しているだろう、いやはや。(この際、自分の理解力は無視)
ブクマを集めた、と言えば女子の「自慢男子撃退法」にネガなコメントがたくさんついているのを見た。
あのさ、そういう飲み屋の姉ちゃんに話すような内容を二度と私にしてくんな、っていってるワケでしょう、
これ、そんなにいけないことですかね。
女の子の「すごいねー」は「有料」ですよ、「ただ」でいい気持ちになるな、って案外、わかってもらえないもんだな。
今でも、女が嫌なことに嫌だと言えば反発を買い、知恵を回せば「こしゃくな」とあざけられる、そういう世の中か。